讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

2.讃美の言葉

「人間は、小さいながらもあなたの被造物の一つの分として、あなたを讃えようとします。それは、おのが死の性を身に負い、おのが罪のしるしと、あなたが『たかぶる者しりぞけたもう』ことのしるしを、身に負うてさまよう人間です。それにもかかわらず人間は、小さいながらも被造物の一つの分として、あなたを讃えようとするのです。よろこんで、讃えずにはいられない気持ちにかきたてる者、それはあなたです。あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。」(アウグスティヌス「告白」から)

カトウ:
アウグスティヌスと言えば、関川先生の「霊性の源流を訪ねて―古代教父との対話」でも何度も登場した古代の教父ですね。
でも、ニカイア信条と関係があるの?

 

ナカガワ:
いや、ないです。
たぶん…。

 

カトウ:
…。
でも、この方、若い時にかなり放蕩に明け暮れた人なのに、回心したら、こんなスゴイ言葉を残したんですね。
さすが、アウグスティヌス!
でも、「讃えずにはいられない」ってちょっと言い過ぎのような…。

ナカガワ:
どういうこと?

カトウ:
だって、讃美できない気持ちの時もありますよね。神様を信じていても。

 

ナカガワ:
あるある。ぶっちゃけ、言うとね。
でもじゃあ、ここでアウグスティヌスは何を言いたいんだろうね?

 

カトウ:
うーん。この言葉って「罪を抱えているけど、それでも讃美する心が、人間を突き動かす」っていうことですよね。
もちろん讃美する時には、自分の思いは大切。
でも、それだけじゃないって言うことなのかな?

 

ナカガワ:
あっ、それって、ニカイア信条とかと同じかも。
だって、私の信仰とむかーしの人たちの信仰告白と直結するのかっていうか、「自分の気持ち」だけで考えると、よくわかんなくなるよね。

 

カトウ:
うんうん。そうそう。
で、どう繋がるの、その二つ?

 

ナカガワ:
それは、ぜひ放送をお聞きください。(また、逃げた…)

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

2 讃美の言葉

聴取期限4/22
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。