讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

5.信条とは何か

「洗礼式の時に、信仰を確かめる言葉が必要でした。その言葉が、信条の元になった言葉ということになります。つまり、古代の信条は聖書を起点として、古代教会の洗礼式というものを、生活の座として生まれてきたものです。」
 

カトウ:
ニカイア信条は、古代の偉い人が考えたのではなく、洗礼式の言葉がベース…?
うーん。逆に、洗礼を受ける人の信仰を確かめるのなら、その人の言葉じゃないと確かめられないのでは?

 

ナカガワ:
そうだよね。
でも、確かめる側、つまり教会の人たちは何を基準に判断するのっていう問題が出てくるよね?

 

カトウ:
やっぱり、それは聖書じゃないの!?

 

ナカガワ:
それが問題なんですよね、実際は。
前回の話もあったように異端と呼ばれる人たちも聖書をベースにしていたんですよね。


 

カトウ:
そうか…。
実際教会でも、聖書を具体的に受け止めるって、いろいろ意見が分かれる時もあるしね。
私の方が正しい…みたいな。
 

ナカガワ:
教会あるあるですね。
ほんとうに「私―私たち」問題は根深いよね。

 

カトウ:
そうそう。やっぱり、イエス様だね。

 

ナカガワ:
えっ?いきなり、そこ?
でも、確かに僕たちに確かさがあるっていう意味じゃないよね、信条って。
もともと洗礼の時の言葉っていうのがミソなのかも。

 

カトウ:
そうそう。
ミソです。
イエス様です。

 

ナカガワ:
…。
皆さま、何がミソなのかを思い巡らしつつ、ぜひお聞きください。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

5 信条とは何か

聴取期限5/13
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。