讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

7.われらは信ず(2)

「信仰は、カナンの女性のように執拗に求めるというのが必要になります。けれども、最終的に信じるものの姿勢に信仰が表れていると語って下さったのは、イエス・キリストなんです。『あなたの信仰は立派だ』とね。」

 

カトウ:
自分には信仰があるんだろうか…。

 

ナカガワ:
どうしたんですか、急に。

 

カトウ:
だって、イエス様に認めてもらえるか…。
自分に本当に信仰があるのか、イエス様から問われると…自信ないよ〜。
 


ナカガワ:
ハハハ。
でもさ、そんな風に考えるのは、イエス様を求めているからだよね。
そして、それはもう信仰なんじゃない?

 

カトウ:
あっ、そっか。すでに与えられていたんだ!
でも、そうすると、私が求めることと、イエス様が受け止めてくださることとどっちが先?どっちが重要?

…と、そんなことを、昔、悩んでいた時がありました。

 

ナカガワ:
(えっ、昔のこと?今のことじゃないの?)
信仰は、分かったと思ったら、またすぐ分からなくなるって言うしね。

信仰は、私が求めること。そして神に与えられること。
皆様、放送を聞いて、この不思議な出来事にご一緒に思い巡らしてみませんか?

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

7 われらは信ず(2)

聴取期限5/27
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。