讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

9.全能の父(1)

「『実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。』こう語るとき、かれは理解しないこと、あるいは探求しないことを『含蓄的に』信じるのでは不十分なのであって、神のいつくしみについて、『はっきり表明できる』認識が必要だというのである。そのような認識にこそ、われわれの義が存するのである。」(カルヴァン『キリスト教綱要』)

 

カトウ:
…。

 

ナカガワ:
うーん、なんだろね。
つまり、信じているというだけではダメで、神の慈しみをちゃんと自分で言える理解が大事ということかな?
でも、それなら自分は…。だって洗礼を受けたのって小学生の時なんだよね。
神の慈しみをちゃんと言えた記憶がない…。いや、今だって。

 

カトウ:
そうそう。
僕も小さい頃から教会に行ってるから、お祈りしても「これって本当に自分の信仰なの?」って悩んだ時期もあったなあ。
単にそう思い込んでるだけじゃないの?って。

 

続きを読む