讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

9.全能の父(1)

「『実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。』こう語るとき、かれは理解しないこと、あるいは探求しないことを『含蓄的に』信じるのでは不十分なのであって、神のいつくしみについて、『はっきり表明できる』認識が必要だというのである。そのような認識にこそ、われわれの義が存するのである。」(カルヴァン『キリスト教綱要』)

 

カトウ:
…。

 

ナカガワ:
うーん、なんだろね。
つまり、信じているというだけではダメで、神の慈しみをちゃんと自分で言える理解が大事ということかな?
でも、それなら自分は…。だって洗礼を受けたのって小学生の時なんだよね。
神の慈しみをちゃんと言えた記憶がない…。いや、今だって。

 

カトウ:
そうそう。
僕も小さい頃から教会に行ってるから、お祈りしても「これって本当に自分の信仰なの?」って悩んだ時期もあったなあ。
単にそう思い込んでるだけじゃないの?って。

 


ナカガワ:
こんなこと誰が本当に出来るのかな?
だって今回のテーマは「全能の父」だよ。
全能の父をはっきり表明できる認識って…。
あー、何か気が滅入ってきた。

 

カトウ:
ナカガワさん、ファイト!
でも、自分はやっぱりイエス様です。

 

ナカガワ:
やっぱり、そこなのね。
…でも、やっぱり、そこなんだと思う。一番大切なとこは。

 

カトウ:
そうそう。
「わたしを見た者は、父を見たのだ。」ってイエス様だって言ってるし。
勉強はいらない!イエス様だけあればいい!

 

ナカガワ:
うーん。それはちょっと極端な…。
でも皆さんも、イエス様と出会うことの意味を今回のお話から考えてみませんか。
ちなみに、僕は勉強もちょっとは大切…派です。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

9 全能の父(1)

聴取期限6/10
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。