讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

10.全能の父(2)

「救いの信仰の中心そのものは、単なる神への信仰ではなくて、御父としての神への信仰である。また単に、キリストへの信仰ではなくて、神の御子としてのキリストへの信仰である。つまり、一被造物としてのキリストではなくて、神より生まれた創造主なる神としてのキリストへの信仰である。」(ヒラリウス)

 

カトウ:
「…ではなくて」が3連チャン♪

 

ナカガワ:
えっ、そこ?

それにしても「単なる神への信仰」とかって、人間の観念じゃない!って言う感じだよね。
そうなると、ヒラリウスさんの言いたいことって、「父だ!子だ!父子だ!」って言うこと?

 

カトウ:
「気合だー!」みたいな?
そう言えば、あれは確か小学生のとき、教会の友達が教会学校の先生に「神様とイエス様は、同じなの?別なんじゃないの?」って質問したら、先生は「イエス様は神様なの。そういうものなの」って言っていたなぁ…。

 


ナカガワ:
それは説明じゃなく、確かに気合っぽいね。

 

カトウ:
でも、今は理屈じゃなくて、そう信じているんですよね。不思議!
なんで信じているだろうかな、「父と子」だって。

 

ナカガワ:
そうだね。
そもそも、ニカイア信条が告白する父子聖霊の三位一体の神の信仰って理屈じゃ説明できないしね。
それでも、何故かアーメンって思えるんだよね。(刷り込み?)

 

カトウ:
それは、やっぱりイエス様でしょ。

 

ナカガワ:
出たー!カトウさんの「イエス様でしょ」!

でも、確かに神を「アッバ、父よ」とで呼んだのは、イエス様だけだったみたい。当時のユダヤ教としては、すごくセンセーショナルな感じだったって聞いたことあるし。
そうなると、今日のお話もやっぱりイエス様がキーになるのかもね。
「父だ!子だ!(父)子だー!」(なんじゃこりゃ?)

皆さまも、ぜひご一緒に番組で確かめてみてください。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

10 全能の父(2)

聴取期限6/17
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。