讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

13.天と地、全て見えるものと見えざるものとの創造者を(2)

「天と地、全て見えるものと見えざるものの創造者を信ずる」という告白の部分には、人間の創造についての直接の言及はありません。…永遠なる神の御子が人間の救いのために肉体を取られた、という後の告白の中に、創造と受肉の密接で不可分な関係が語られることによって、人間に関するテーマが、全面に押し出されてきます。人間は自分自身の存在の意味を創造者なる神と御子イエス・キリストをぬきに理解することは出来ないのであります。

 

カトウ:
今回、長いっすね…つまり…どういうコト?

 

ナカガワ:
たぶん、
「『人間を造られた御方がいる』ってことを信じるだけじゃ、
それは、『キリスト教が考える神様を信じること』とは違いますよ」
って感じかなあ。

 

カトウ:
ほー…
確か前回は、「イエス様を信じることは、創造者を信じること」っていう話でしたね。
イエス様無しに、父なる神様も信じられないよって。

 


ナカガワ:
うん。
で、今回はもう一歩進んで、
人間の創造を考える上では、
「創造と受肉の密接で不可分な関係」がポイントだって言うんだけど…
正直、「創造」と「受肉」ってあんまり結びつかなくない?

 

カトウ:
確かに〜。
「創造」が描かれている創世記を読んでも、
当然、「受肉」のことなんて書いてないですしね。

 

ナカガワ:
逆に、「受肉」が描かれている、
主イエスがお生まれになったクリスマスの出来事も、
それからずーーーーーーっと後のことだもんね。
「創造」と「受肉」って、かけ離れてる気がするんだよな…。

 

カトウ:
でも…もしですよ?
その2つを、強引にでも結びつけるとしたら…
この世界が造られる時には、
「受肉」つまり主イエスが人として生まれる必要があったし、
もっと言えば、「創造には十字架が必要だった」ってことですよね…?

 

ナカガワ:
おー…それ凄いね…。
でも、「十字架が必要な天地創造」って、
かなり…とんでもないことだよね。

 

カトウ:
ですよね。だって、もしそうなら、
神様は「ご自身が殺される世界」を創られたってことですし。
うーん、これは、
受肉というか「皮肉」!?!?

 

ナカガワ:
皮肉だし、矛盾だなぁ…。
でも、その矛盾を、この信条は告白するし、
人間の創造の意味もそこにこそあるって言うんだよねえ。

…皆さんもこの「不思議」を、放送から一緒に考えてみませんか?

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

13 天と地、全て見えるものと見えざるものとの創造者を(2)

聴取期限7/8
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。