讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

17.主は神の御独り子

ヨハネ3章16節の言葉は、よくよく考えてみると、たいへん驚くべき言葉です。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
反逆し続けているんだから、神様から見たら、滅ぼしてしまったらいいだろう。ちょうど、旧約聖書のノアの洪水のときのようにね。同じように、私たちも、滅ぼされても仕方がないかもしれません。繰返し、神に反逆をしている。しかし、それでも、愛してくださった。

 

カトウ:
うーん、たいへん驚くべき言葉か…。
いつもはそこまで驚いていないかも。
イエス様の自己犠牲に感謝ってくらいにしかヨハネ3:16を受け止めていないのかもなあ。

 

ナカガワ:
確かに、自己犠牲としても「そこまでやらなくても」ってどこか思ってしまうものね。
そもそも「独り子を与えるほどの愛」って今だったらSNSなんかできっと大炎上だよ。そんなの愛じゃないって。狂気だって。

 

カトウ:
逆にクリスチャンはなんで愛を感じるんだろう?
「世を愛された」だけ都合よく受け止めているのかも知れないけれど、それでもなぜ愛だと信じているんだろう?

 


ナカガワ:
うーん。なんでだろう…。

 

カトウ:
やっぱり、イエス様だよ。
この狂気みたいな愛は、十字架のイエス様のお姿だよ。

 

ナカガワ:
…(黙想中)…。

そうだね。
僕たちって、ただ神の愛を信じているんじゃなくて、イエス様の十字架を信じているだよね。
だから、「しかし、それでも、愛してくださった」と感じるんだよ!
自分の罪を深く自覚するのもこの時だよね。

皆さまも、ヨハネ3:16がボンヤリしがちと感じたら、ぜひ今回の放送を聞いてみてください。
十字架のイエス様がより近く感じられるなら、それは素晴らしいことですから。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

17 主は神の御独り子

聴取期限8/5
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。