讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

19.光よりの光、まことの神よりのまことの神

頌栄的な言葉は、それらが指し示す高みを目指すだけではなくて、賛美する人間存在の深みを極める言葉でもあります。どういうことかといえば、信条の賛美、頌栄的な言葉は、上に向けて投げかけられると、ちょうど高い絶壁に当たって落ちてくる矢のように、私たちの存在の最も奥にある罪の暗闇に突き刺さるのであります。それは主ご自身が、本来、もっとも高きにいます方でありながら、しもべの形をとり、へりくだってもっとも低いところに来られた事実にも表れています。

 

カトウ:
えー!賛美の言葉は、ブーメランのように自分自身に突き刺さってくるの?
神様の素晴らしさで超感動!っていう感じなのに…。

 

ナカガワ:
関川先生は「主ご自身がしもべの形をとり、へりくだって…」って言っているよね。
これって…イエス様の十字架のことだよね。

 

カトウ:
イエス様の十字架…。

 


ナカガワ:
どうしたの?黙り込んで。

 

カトウ:
だって「私の罪のための主の十字架」って、いわゆる感動とはちょっと違うなぁと。

 

ナカガワ:
イエス様は僕達の罪を背負って僕達が赦されるために十字架で死なれたのだものね。
すぐ感動ってならないよね。自己満足じゃないし。

 

カトウ:
そうか!だから、「存在の最も奥にある罪の暗闇に突き刺さる」のか!

♪主の死を思い 復活を讃えよう 主が来られるまで♪

 

ナカガワ:
えっ?(今回は歌?!)

確かに「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。」(ローマ6:4)ってあるものね。

キリストの死と深く結びつくキリスト教の讃美…
皆さま、今回も放送を通してこの信仰の喜びに触れてくだされば幸いです。


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

19 光よりの光、まことの神よりのまことの神

聴取期限8/19
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。