20.造られずして生まれ、御父と同質にして
…ここで問題なのは、人間の救いというものが、イエス様の姿を真似る、あるいはそれを学ぶところで、留まってしまうことだと思います。ですからアレイオスの人たちは、その人間イエス、地上に生きたイエス様、しかも、十字架に至るまで、神様のご意思に従順に生きたイエス様のように自分もなる。そこに救済があると考えた。そこに、逆に、ニカイア信条を作っていった人々は、一番大きな問題を感じたんですね。そして、それは、聖書の証言から離れていくと考えたんです。
カトウ:
「十字架に至るまで、神様のご意思に従順に生きたイエス様のように自分もなる。そこに救済があると考えた」
それじゃ、駄目なの?
素晴らしい信仰のように思えるけれど…。
ナカガワ:
でも、ちょっと何か違和感あるかな、自分は。
教会でも「他者を愛して仕えよ」とみたいに言われるけれど、それってキリスト教だけのことじゃないよね。
カトウ:
確かにそうだけれど…。
でも、それじゃ、イエス様に従うって何?それって大切なことだよね?