讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

23.主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より下り(2)

超越者なる神は、「自己卑下する神」、己を低くする神でもあります。この神秘をニカイア信条は、「われらの救いのために天より下り」という言葉に込めているのであります。

 

カトウ:
がーん。
「自己卑下する神」ってなんだかちょっと嫌…。

 

ナカガワ:
確かに「自己卑下」はちょっとないよね。ネガティブすぎ。
でも、なんで関川先生はこの言葉を使ったのかな?

 

カトウ:
教会ではよく言われる「小さく貧しくなられた神」は、受け入れやすい感じだよね♪

 


ナカガワ:
ということは、本当は受け入れたくないのかもしれないっていうことだよ。
「我らの救いのために天より下った」神は…???

 

カトウ:
うーん。
救いに来られたのに僕らは受け入れたくない…

 

カトウ&ナカガワ:
それってイエス様の十字架だ!

 

ナカガワ:
ヨハネによる福音書の冒頭のとこだよね。
「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)

 

カトウ:
この言葉ってどこか自分を「受入れた側」に立って理解しているけれど、違うのかも?!

 

ナカガワ:
案外そうかもしれない。

 

カトウ:
認めたくないけれど。
そう思うと、何だか心が痛くなってきた。

 

ナカガワ:
僕も…。
でも、この痛みは何なのかな…。

皆さま、「自己卑下される神」って一体どういうことなのか番組を聞いてご一緒に考えてみませんか?
イタタタ…


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

23 主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より下り(2)

聴取期限9/16
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。