25.われらのためポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、苦しみを受け
さて、この信条の箇所を読んで、なぜ信条は主イエス・キリストの誕生からすぐに死へと移っているのか?死の事柄を告白するのか?こういう疑問を持つ方もおありだと思います。新約聖書がたいへん細かく詳しく描いている主イエスのご生涯は、どこに告白されているのか?という疑問です。…こういう疑問に対して、宗教改革者のカルヴァンという人は、ジュネーブ教会信仰問答の問の55で、次のように言っています。『ここでは、私たちの贖いに固有な、従ってある意味で、その本質を含むことしか論じていないからです』
カトウ:
古代の信条って、正直物足りないです。
イエス様の奇跡とか癒やしとか教えとかもっと「愛」をイメージできることを言いたい!
個人的にはラザロの復活が好き。
ナカガワ:
個人的な感想は別として、誕生のあと、すぐ苦しみと死だものね。
ちょっと逆に変だよね。福音書に沿えば、奇跡や癒やしや教えも入れてもいいような気がする。
カトウ:
わざとっていうこと?
…じゃあ、やっぱりイエス様の十字架なんだ!