讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

26.葬られ、聖書に従って三日目によみがえり(1)

十字架について葬られて、すべてが終わった。普通だったら、それで終わりなんです。むしろ、「はい、さよなら」かもしれない。「失望しました。あんなこと言っていたけど、実際は、ただの人でしたね」って。
ところが信条は、その葬られた方が「聖書に従って三日目によみがえった」と書いてあるわけです。ですから、「葬られ」という言葉と「聖書に従って三日目によみがえり」、なんか一息で私たちは告白をしていますけど、この間に、すっごく大きなものがある。

 

カトウ:
葬りと復活の間かぁ…。あんまり考えたことないよね。
でも、それって僕たちの信仰の中心だよね。
中心がブラックホールみたいでちょっと嫌。

 

ナカガワ:
(嫌って…。)
ブラックホールっていえば。この前ニュースで史上初めてブラックホールの映像が確認できたってやってた。
周りの光がドーナツみないになっていて、真っ暗な中心がブラックホールだって。

 

カトウ:
そうそう。周りの光で観測するだよね。
っていうことは、ここでは「死んで葬られ」が観測可能なものっていうこと?
確かに「死んで葬られ」は人間でも分かることだけれど。

 


ナカガワ:
そうかも。
関川先生も、ここで「信仰の躓きというものの頂点に達する」って言われているし。

 

カトウ:
うーん。
つまり、キリスト教の中心である復活は、躓かなければいけないところっていうこと?

 

ナカガワ:
きっとそう。
人間的なアプローチでは必ず躓くところっていうのかな。

 

カトウ:
それってイエス様の十字架だ!
ブラックホールとホワイトホールだ!

 

ナカガワ:
(えっー!ホワイトホールって何?)
まあ、僕たちの信仰の要である十字架と復活には必ず僕らの躓きを経なければならないっていうことだと考えると、先生が言われるとおり、「葬り」と「復活」の間って凄いのかも。

皆さまは、なぜ「葬られ、聖書に従って三日目によみがえり」とニカイア信条が告白すると思いますか?
ぜひ、放送を聞いて思い巡らしてみてください。物凄い秘密が秘められているはずなのですから。


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

26 葬られ、聖書に従って三日目によみがえり(1)

聴取期限10/7
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。