讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

28.天に上り、御父の右に座したまえり(1)

「イエス様と同じ時代に生きていたらそれは私達から見れば羨ましいんだけれども、必ずしもイエス様を本当に理解することが出来るかといえばそうもいかない。ここに私達の持っている悲しさのようなものがありますね。見るもの、触れるもの、それは確かに尊いのですが、案外私達の誤解だけを増やしてしまうこともあると思います。」

 

カトウ:
僕はそれでも、イエス様と会いたい!
今も、イエス様と出会っているけれど、もっと会いたい!

 

ナカガワ:
…。イエス様が大好きなのね。
でも、その出会いは「見えるものや触れるもの」が一番大切なの?

 

カトウ:
違うかもしれない。
だって、十字架のイエス様は一人で祈るとき、聖書の言葉に心開くとき、出会ってくださるから。

 


ナカガワ:
大切なのは、イエス様が出会ってくださることだと僕も思うんだよね。
僕らの力じゃないでしょ?イエス様との出会いは。

 

カトウ:
ホントだね!
イエス様を信じることって、「見えるもの、触れるもの」の延長線にはないんだよね。

 

ナカガワ:
それが、今日のニカイア信条のところの「天に上り、御父の右に座したまえり」の告白に繋がっていくのかもしれないよ。

 

カトウ:
そっか。こんなに近くに感じられるのは、天に上られたからなのかな…。
でも、やっぱり会いたい…。

 

ナカガワ:
大丈夫。マラナタだよ。
だって、イエス様は必ず再び僕達のところに戻って来られるんだから。

皆さんは、「天に上り、御父の右に座したまえり」の告白に何を発見されますか?
ぜひ、番組を通して、あなたとイエス様との日々の出会いがより親しいものとして見出されたら僕も嬉しいです。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

28 天に上り、御父の右に座したまえり(1)

聴取期限10/21
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。