讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

29.天に上り、御父の右に座したまえり(2)

天に上げられ神の右に座しておられるイエス様の姿と、イエスは主であるっていう2つのことはとても密接に結びついていると思います。つまりイエスは主であるというのは、私たちの願いの延長上に主であるイエス様があるんじゃない。天に上げられるということは、もう私たちが見ることもできないし、私たちが操作することもできない方。それが、イエス様なんです。

 

カトウ:
「天に上げられたイエス様」=私たちが見ることもできず、操作することもできない方=イエスは主であるってこと?

 

ナカガワ:
そういうことになるね。

 

カトウ:
当ったり前じゃん!って思ったけれど、「イエスは主」と言うとき、こんな風に思ったことは殆どありません。
ガーン。当たり前じゃなかった…。

 


ナカガワ:
そうだね。
「イエスは主」って告白するときって、どこかイエス様は僕らの味方的な感じのところあるよね。
「私たちが操作できない方」って、そんな賛美しないものね。

 

カトウ:
「私たちが操作できない方」かあ…。
それってイエス様の十字架だよね。
僕らの罪のために苦しむイエス様を心に思い描くと人間が触れられない思いになるよね。

 

ナカガワ:
人間の罪を担う十字架は神しか担えないっていうことだよね。人間は近づけない。
じゃあ、今度「イエス様は操作できない」って賛美つくろうかな?

 

カトウ:
えー!それはない。

 

ナカガワ:
だよね。言ってみただけ。

皆さんは「天に上り、御父の右に座したまえり」イエスは主であるという信仰告白をどのように考えますか?
ぜひ放送を聞いて思いめぐらしてみてください。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

29 天に上り、御父の右に座したまえり(2)

聴取期限10/28
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。