讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

30.天に上り、御父の右に座したまえり(3)

…たしかに、私たちが礼拝を捧げますが、本当の礼拝の主体は、私たちを呼び集めてくださる神であり、神の右におられる高挙された主イエス・キリストです。キリスト教会は、過去の偉人であるイエス・キリストを拝むために礼拝をしているのではありません。あるいは、模範的な教師である主イエスに学び、そのみあとに従うために、ただイエス・キリストを思い起こしているのでもありません。まさに今ここに現臨される甦り主を、御言葉と聖礼典によって、目の当たりに示されるのであります。

 

カトウ:
過去の偉人や教師を目標にして、皆でガンバロー!的ならわかりやすいんだけれど、礼拝で甦りの主がいつも目の当たりに示されているかと言えば…。
ナカガワさんのとこはどう?

 

ナカガワ:
えーと、…。たぶん?

 

カトウ:
甦りの主をして目の当たりに示されるって、具体的にどうするの?

 


ナカガワ:
えーと、…。分からん。
でも、人間じゃないんじゃない?それって神様のお働きでしょ。

 

カトウ:
じゃあ、神様が働いておられないのかな?たまにしか。

 

ナカガワ:
ごめん。やっぱり人間の側に問題があるのかも。
神様がせっかく示してくださっているのに気が付かない、とか?

 

カトウ:
あっ!それってやっぱりイエス様の十字架と繋がってるんじゃないかな?
前回のお話を思い出すと、「過去の偉人や教師を見習おう!」っていうのは僕らが「操作しやすい」からだよね?
でも、十字架は操作できないし、そもそも容易に近づけない。

 

ナカガワ:
なるほど。
だから、復活し今共にいるイエス様もどこかぼんやりして、ガンバロー的なものになっちゃうのかもしれないね。

皆さま、「天に上り、御父の右に座したまえり」と告白するとき、甦りの主を目の当たりに示される経験にどう結びつくのかご一緒に思いめぐらしてみませんか?
ぜひ、放送をお聞きください!

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

30 天に上り、御父の右に座したまえり(3)

聴取期限11/4
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。