讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

32.生ける者と死ねる者とを審くために栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない(2)

キリスト者になったからといって、苦悩から全部、解き放たれるわけではない。あるいは死の恐れから、解放されるわけではない。しかし、キリスト者になったということは、そういう自分が生きている現実が、耐え難い曖昧さをなお持っているけども、それでも、希望を失うことがないという…それが、再臨の信仰。歴史というのは、耐え難い曖昧さを永遠に続けていくのではなくて、必ず終わる。しかも、イエス様が必ず来て下さるという、そういう確信の中で生きるということだと思いますね。

 

カトウ:
「耐え難い曖昧さ」って何???

 

ナカガワ:
この世界や自分の存在する意味が分からないとか?

 

カトウ:
ピンと来ないよ〜!
特に分からなくても生きていけるし。

 


ナカガワ:
確かにね。
でも、どうしてピンとこなんだろうね?
この世界にある苦しみや不条理が自分とは遠く感じてしまうよね。

 

カトウ:
他人事になってしまうっていう…。
あっ!イエス様の十字架と同じだ。それって。

 

ナカガワ:
そうそう。
逆に言えば十字架でイエス様と出会うことと同じじゃないかな?
「耐え難い曖昧さ」の世界の中で希望を見出すっていうのは。

 

カトウ:
イエス様と十字架で出会うかあ…。

それは他の誰でもなく、私の罪のため。
「耐え難い曖昧さ」に気付こうとしない私を罪から救うため。

…イエス様、感謝します!

 

ナカガワ:
イエス様、必ず来てください!

やっぱりこの主の再臨があるからこそ、歴史に、そして人生に意味があるというのは確かな気がするんですよね。
キリスト者の持つべき希望について、
改めて放送からご一緒に聞いてみたいと思います!


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

31 生ける者と死ねる者とを審くために栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない(2)

聴取期限11/18
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。