讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

33.われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(1)

キリスト教を理解する時に、イエス様の時代が純粋として、三世紀・四世紀になるとすぐに堕落したと言うのは決して正しくありません。イエス様に出会った人たちが色んな事を考えながら、また、色んな教えに出会いながら…時代の嵐の中をかいくぐってキリスト教の信仰は伝えられているわけで、その先人たちの信仰の歩み、軌跡は無視することが出来ません。

 

カトウ:
えー、でも教会でも何でも、段々とダレてくるってあるよね

 

ナカガワ:
あるよね。いわゆる「形骸化」ってやつね。
伝言ゲームみたいに、伝えていく中で、中身が代わっちゃう的に。

 

カトウ:
そうそう。
で、教会のスローガンはいつも「原点に戻れ!」
とくにプロテスタント教会は、宗教改革とか原始教会とかが原点だって。

 


ナカガワ:
でも、関川先生は違うと言うんだよね。
教会の歩みは伝言ゲームでも劣化コピーでもないと。現実とは違うような…。
何か見ているところが違うのかな?

 

カトウ:
見ているところが違う?
あっ!そうかも。違うかも。

 

ナカガワ:
えっ?何が?

 

カトウ:
だって、教会の主は人間じゃなくて、聖霊様でしょ。
確かに人間は伝言ゲームかも知れないけれど、神様の方がもっともっと大きいんだよね?
イエス様、感謝します!聖霊様を送ってくれて。

 

ナカガワ:
なるほど。確かに劣化コピーをなおすために原本に戻る的な発想だと、結局は同じことの繰り返しだしね。
でも、教会はもともとそうじゃないっていうことか!
人間の弱さがありながらも、神様が確かにその歩みを進めてくださる。
ガッテンガッテン!

皆さまはどう思われますか。放送を聞いて一緒にガッテンしてくだされば嬉しいです


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

33 われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(1)

聴取期限11/25
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。