讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

34.われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(2)

例えばイエス様を指し示す補助的な役割をしているのが聖霊だ。あるいは、父なる神様のことを本当に知るための何か認識的な働きをしているのが聖霊だ…そういうイメージがあるかもしれないのですけどね。もちろん聖霊というのは、助け主として送られる、弁護者として送られる、とヨハネ福音書に出てきますから、そういう側面がある。背後に隠れていてイエス様のところに私たちを連れて行ってくれるっていう、そういう側面が確かにあると思うのだけど、父と子と聖霊の神を信ずると言った時に、聖霊というのは、父と子と同じ位格、実態を持っている。それを曖昧にした形で、ただ隠れた聖霊というものを考えていると、いつの間にか聖霊の信仰というのが内面化されてしまったり、主観的なものになってしまうと思います

 

カトウ:
正直に言うと、聖霊様は影薄い、デス。
助け主って、ヘルパーさんっていう感じだから?

 

ナカガワ:
ヘルパーさんって、ちょっと…。

でも、なんでだろう?
父と子よりは一段下っぽい、この感覚って。

 

カトウ:
あっ!またまた気が付きました!
ここで質問です。

Q.教会が掲げているものはなーんだ?
チッチッチッ…

 


ナカガワ:
お願いだから、カウントやめて!
それって十字架でしょ。それが何?

 

カトウ:
えーと、だって、教会だって三つの位格を平等に扱ってないよ。
イエス様、それも十字架だって。

 

ナカガワ:
…。

そうか!それでいいんだ。
確かに父なる神様だって、「子によって父を見る」んだよね。
聖霊様もイエス様の十字架があってこそ私たちに中に居てくださるわけだし。

イエス様じゃん、やっぱり。肝心要は。

 

カトウ:
それ、僕のセリフ…。

では、今回は僕から。
皆さま、何で聖霊様が影薄めにされているのか、関川先生の放送を聞いて一緒に考えましょう!オー


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

34 われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(2)

聴取期限12/2
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。