讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

35.われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(3)

「我らのこの信仰、ならびに信仰の確信とは、肉と血、すなわち我らの内にある自然の力から生ずるものではなく、聖霊の感動から生ずるものである。その聖霊を、我らは父、及び御子と等しき神と告白する。聖霊は我らを清め、その業によって、我らを真理に導きたもう。」(16世紀に作られたスコットランドの信仰告白)

 

カトウ:
聖霊様が感動するの?
そこから僕らの信仰が生まれるの?

 

ナカガワ:
感動って、心動かされるって言うことだしね。
でも、何に感動しておられるんだろうね?

 

カトウ:
うーん…。
それはそうと、僕は、小学生の時、教会学校の夏のキャンプで、夜のキャンプファイヤーを囲みながらメッセージを聞いて感動して、洗礼を受けたいと思ったんだよね。

 


ナカガワ:
(話変わりすぎでしょ!)で、洗礼うけたの?

 

カトウ:
いやー、後で雰囲気にのまれちゃった気がして、その時は洗礼を受けませんでした。
あはは。

 

ナカガワ:
あははって…。
でも、人間の感動ってどうしても「移ろいやすいもの」的な感じがあるよね。
だから、聖霊の感動っていわれると、ね。ちょっとね。
ただ、仮に感動しておられるとして、何に?人間の回心とか?

 

カトウ:
えー!それは、イエス様の十字架じゃないかな。
自分はそうだったよ。

 

ナカガワ:
聖霊様の導きの中で、僕らが感動しているかとも読めるけれど…。
でも、何だかイイね。聖霊様がイエス様の救いに僕らと一緒に感動しているって。

 

カトウ:
アーメン。イエス様、感謝します。
聖霊様も、一緒に喜んでくださって、感謝します。

 

ナカガワ:
皆さまは、「聖霊の感動」っていうフレーズに何を思われますか。
放送を通して、聖霊様についてご一緒に思い巡らしてくださったら、「感動」です!


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

35 われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(3)

聴取期限12/9
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。