讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

36.聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(1)

「聖霊には『聖』という言葉がついてますよね。神様の霊というのは、私たちの霊とは混同されてはならないわけです。そういう霊、そういう神の働き、ってことです。これとっても大事だと思うんですよね。なぜかというと、聖霊のことを語ると、いつも私たちの熱心さとか、私たちの熱意とか、信仰の情熱とか、それとわからなくなっちゃうわけですから。」

 

カトウ:
混同しちゃダメって言われても、どうすれば良いの?

 

ナカガワ:
カトリックの方だと「識別」っていうんだよね。
でも、神様の思いと自分の思いがごちゃまぜになってしまうって神様にだけじゃないかも。

 

カトウ:
どういうこと?

 


ナカガワ:
人間同士でも、あの人はきっとこうって決めつけちゃうことってない?
親子でも、うちの子は〜のはずとか、教会でも、皆も喜ぶべきとか…。

 

カトウ:
あるある!
あとで、家族でも「自分は本当は違うのに…」って喧嘩になっちゃたり…。
人間でも難しいのに、聖霊様のことは尚更のような気がするけれど、でも、大切なことは聖霊様に聖霊様のご意見・ご要望をちゃんと聴くっていうこと?

 

ナカガワ:
そこが問題だよね。
お祈りにしても、僕らの要求をぶつけてばかりとか、「〜のはず」とかやりがちだしね。
だから、関川先生は「聖」、つまり私たちのとは異なるって言っているんじゃないかな。

 

カトウ:
それって、イエス様のこと?十字架のこと?
私たちのとは全然異なるよね?

 

ナカガワ:
そうだよね。イエス様の十字架の愛は、私たちのとは全然異なるかあ…。
確かにここもごちゃまぜになりがちなポイントだものね。

皆さんは、聖霊の導きと私たちの思いをどう見分けられておられますか?
放送を聴いて、ぜひご一緒に考えてみてくだされば幸いです。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

36 聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(1)

聴取期限12/16
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。