讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

38.聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(3)

キリスト教というのは、歴史的な宗教なんです。歴史を簡単に飛び越えることはしないということです。もちろんイエス様の前に歴史は相対化されるし、歴史を絶対と見ることは絶対できないわけなんですけど、しかし、歴史を飛び越えて、私が聖書を自由に解釈できる。そういう風には考えないんですね。私の聖書の読み方が絶対に正しいんだ、というと、これは、もう歴史的な宗教であるキリスト教から離れちゃうことになる。

 

カトウ:
イエス様を信じることは歴史的って普段あんまり考えないなあ…。
大切なのは、今、私がどう信じるかだと…。

やっぱり、「今」でしょ?!(某先生流で)

 

ナカガワ:
はいはい。
でも、キリスト教は一人では信じられないよ。

そもそも聖書だって、ものすごい長い年月と数え切れない多くの人の信仰やさまざまな働きがあって、今僕らはAmazonでポチッと手にできるんだし。(※【PR】聖書のご用命は、お近くのキリスト教書店へ。)

 

カトウ:
そうだね。キリスト教は僕が考え出したものじゃないよね。

 


ナカガワ:
そうそう。
私が信じないと始まらないけれど、私一人だけでも始まらない。

たとえば、古代から続く信仰告白も、使徒信条は「われは信ず」で、関川先生の訳のニカイア信条は「われらは…」だからね。
キリスト教の信仰って「わたし」と「わたしたち」の問題は実はとても大切なのだと思う。

 

カトウ:
そうか。「わたし」が信じることは「わたしたち」を無視してあり得ないよね。それじゃ、一人ぼっちの寂しい信仰になっちゃう。
そう考えると、歴史的宗教ってありがたいなあ。
沢山の先輩たちが時には命がけで伝えてきたことを、21世紀の自分も信じられるって。

I thank Jesus !
(わたしは、イエス様に、感謝します!)

 

ナカガワ:
え? 何で英語?

 

カトウ:
日本語って「わたし」を省略するから♫

 

ナカガワ:
Amen.
Thank you, Jesus!
(アーメン。イエス様、感謝します。)

皆さんはイエス様を信じる時、「私」と「私たち」を普段意識することってありますか。
そんなことを考えながら、ご一緒に放送を聴いていただければうれしいです。
これも立派な「歴史的」かも知れません。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

38 聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(3)

聴取期限12/30
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。