讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

39.聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(4)

預言の賜というのは、礼拝の中で行われる説教を直接的には指します。もちろん、現代社会にあってはこの預言の賜物は、ますます多様にならざるを得ません。あるときは、不正や抑圧を見抜く政治的な知性であったり、あるいは社会の構造や仕組みを見通して社会への変革や改良を行う力などが、旧約の預言者と同じように求められています。しかし、忘れてはならないことは、預言の力の最も大きなものは、神の言葉を薄めたり、改変したりすることなく、そのまま全権を委任されたものとして、語るということであります。預言者の使命は、なにより神様の言葉を、取り継ぐことです。言うまでもなく、預言は、御言葉の説教に結実します。

 

ナカガワ:
礼拝の説教はもちろんそうだけど、聖書の言葉を人に伝えることも、預言の賜なんだね、きっと。

 

カトウ:
何と!じゃあ、僕も預言者!
何だか照れるなあ〜。

 

ナカガワ:
照れてる場合じゃないよ。それって、神様の言葉を取り継ぐことなんだって!

 

カトウ:
ガーン。そう言われると、自信ないです。

 

ナカガワ:
あれっ?「イエス様は愛」じゃないの?(いつもの勢いはどこに?)

 

カトウ:
イエス様は愛、イエス様は愛…。

あっ!そうだ。
イエス様は愛です。しかも、十字架のイエス様です。

 

ナカガワ:
どういうこと?

 

カトウ:
だって、自分が一番見たくないところにイエス様はいてくださるんだよ、いつも。
だから、イエス様とちゃんと向かい合うところは、救い主の十字架なんです。僕にとっては。

 

ナカガワ:
救い主が救い主であり、御言葉が御言葉として響くのは主イエスの十字架かあ…。
だから、聖書は「十字架の言」なんだね。

皆さまは、聖書の言葉が味気なく感じたり、礼拝の説教がつまらなく感じたりした時、どこに戻って行かれますか?
牧師先生や神父様に丸投げせずに、ちゃんと一人ひとりが神様と向かい合って生きていけたら、それは素敵なことなわけですから。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

39 聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(4)

聴取期限1/6
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。