讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

40.われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(1)

「私たちは聖霊について、教会を信ずと、続いて告白することなしに語ることはできない。また反対に、もし私たちが、聖霊の働きのうえに教会を確立することなしに、教会について語ることはできると考えるならば災いあれ。」(カール・バルト)

 

カトウ:
実際に「災い」ありまくっています。

 

ナカガワ:
…。

「災い」かどうかは別にして、確かに現実の教会ではさまざまないざこざやトラブルが結構あるし、そんな時に教会員が「聖霊の働き」にどれだけ意識しているかって思うと、厳しいものがあるね。

 

カトウ:
だいたいは、それぞれが「正しい」ことを主張してぎくしゃくしちゃいます。

 

ナカガワ:
しかも、そんな欠けだらけの教会を信じることなしに聖霊を信じることはないみたいに言われると、正直戸惑ってしまうよね。

「正しい」主張をやめない僕らが聖霊の働きを見るって一体なんだろうね?

 

カトウ:
それは、ずばり十字架のイエス様だと思う。
だって、少なくとも僕は、あのイエス様を前に、「自分は正しい」って主張することはできないなあ。

 

ナカガワ:
そうだね。主イエスは、義人ではなく罪人と共におられる、だね。
また、これを信じられるのは、聖霊さまの働き以外にないし。

 

カトウ:
そうか。バルトさんが「災い」といったのは、僕らが十字架以外で教会や神さまを考えようとすることなのかも。そうすると、キツめのフレーズも、大切なことを何とか伝えようとする思いにあふれた言葉のような気がしてきたゾ!

 

ナカガワ:
教会は問題だらけだからそれを聖霊の働きとして信じるのかって考えるととても難しいけれど、そもそも僕らはオール罪人なんだよね。
そこを忘れちゃうと教会も聖霊さまも分かんなくなっちゃうって言うことなのかも知れません。

皆さんは、いかがですか?
センセーショナルになりがちな「教会」について、ぜひ番組を通して、ご一緒に考えていけたらと思います。

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

40 われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(1)

聴取期限1/13
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。