讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

42.われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(3)

教会の源と基礎は、どこまでも主イエス・キリストにあります。教会の命は、キリストの死と復活、そして主が、天に上げられた事実に由来します。従って、教会という共同体は、徹底して復活し、高挙したイエス・キリストの支配するところと言ってよいでありましょう。私たちは、教会生活を送る中で案外、この基本となることを忘れてしまいます。教会は、いつの間にか楽しいサークル活動の場になったり、社会活動や奉仕活動にだけ専心する生きがい提供の場となってしまうことがあります。

 

カトウ:
イエス様のためと始めた活動が、いつのまにか別の目的になっちゃうっていうこと?

 

ナカガワ:
「教会あるある」だよね。教会の活動が盛んだと、忙しくなって気持ちもカリカリしたり。熱心な人ほど周りを裁きまくっちゃったり…。
教会の活動や人間関係に疲れちゃうっていうことも良く聞くよね。

 

カトウ:
ガーン。僕もそういう経験ある。
本人的にはイエス様のためだって疑っていなかったりして…。

 

ナカガワ:
それがいけないと分かってても、僕らって、すぐ自分の願望や理想を投影しちゃうんだよ。
いわゆる偶像だけじゃく、例えば活動や理念、またはイエスさまに対するイメージなんかもあるかもよ。

一体、どこでどうやったら、ホンモノのイエス様と出会えるのかな?!

 

カトウ:
…。
あっ、それってやっぱりイエス様の十字架だよ!
(水戸黄門みたいって言わないで!)

だって、イエス様の十字架は、僕らの理想や願望が打ち砕かれるところでしょ!
僕らが必ず「躓く」ところだもん。

 

ナカガワ:
そう!僕らの願いとは真逆のところだものね。
教会がイエス様を頭にするって、やっぱり「頭」だけで理解することじゃないんだよね。

皆さん、今日十字架の前でイエス様と向かい合っておられますか?
主イエスの教会が教会であるために。
ぜひ放送を聞いて、ご一緒に思いを巡らしてみませんか?

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

42 われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(3)

聴取期限1/27
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。