讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

43.われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(4)

教会は、唯一なるものであります。教会は、聖霊の働きによって生み出されました。言い換えれば、教会はその起源を神ご自身に持っているということです。アウグスティヌスという4世紀後半に生きた教父は、たしかに教会は、聖霊降臨によって生まれたけれど、聖霊が降る以前にも、目に見えない教会として存続していたと考えました。教会が唯一であるというのは、教会の本質が、唯一なる神に由来しているということを示しています。

 

カトウ:
教会は、神様のもの!
でも現実は、ドロドロした所がいっぱいあって、嫌になっちゃう人も沢山いるよね。

 

ナカガワ:
そうそう。個別の教会だけでなく、この「聖霊様の働きで生み出され、起源は神ご自身」ってことをもって、逆に「うちが本家とか、いやあっちこそ元祖」とかいろんな教派がバラバラになっちゃう現実があるしね。

 

カトウ:
教会っていう意識が薄いところだと、「私」の信仰、「あなた」の信仰って、てんでバラバラになってきちゃう「信仰の個人主義化」の話もよく聞くし。

これって理想と現実は違うっていうこと?

 

ナカガワ:
うーん。
関川先生は「教会が生まれる前から、目に見えない教会があったと信じるのが教会の信仰」っていうなら、違うかもよ。
そもそも僕らの「理想」的な教会って何?

 

カトウ:
うん。教会員が、イエス様を思って、一つになって、仲良くって感じかな…。
あれっ?これじゃ「見えない教会」じゃなくて「隣の芝生は青く」見える教会?

 

ナカガワ:
なるほど!!理想って確かに「隣の芝生…」かもね。
僕らって、自分の願望に沿ってどうしても見ちゃうから、逆に見えなくなるようなところがあるよね。

 

カトウ:
あっ!それって、やっぱりイエス様の十字架と同じじゃないかな!

イエス様を志半ばで権力者に処刑されちゃった善意の人(預言者・聖人)って思って処刑後落ち込んでいた弟子たちだって、イエス様の復活を単に「不思議なこともあるもんだ」で終わらずにいたから教会が生まれたんだよね。

復活経験って、イエスさまを見たことじゃないんだよ、きっと。
だから、「見ないのに信じる人は幸い」なんだよ。

 

ナカガワ:
そうそう!
僕らの信仰って、「見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かる(ヘブライ11:3)」だもんね。

皆さんは、どう思われますか?
ご一緒に耳を傾け、思い巡らしたいと思います。教会って何かという問いを。


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

43 われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(4)

聴取期限2/3
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。