讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

45.われらは罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す(2)

罪の赦しのための洗礼とは、教会が、罪赦されてそのことに深い感謝と喜びをいただく人々の群れであるということを意味します。私達は神の前に立たされる時、常に自分を絶対化し人を傷つけ、本当には人を愛することが出来ない自分を発見しますが、主イエス・キリストは、ご自分の命と引き換えにそのような私達の罪を赦してくださいました。主イエスに赦されていることによって、私達も互いに許し合うことができるのです。

 

カトウ:
「本当には人を愛することが出来ない自分」
を発見するって結構シンドくない?

 

ナカガワ:
確かに。
でも逆に、自分に絶望しているときにこそ、神様がそばにいてくださっていることに気付かされるってことない?絶好調の時って、かえって見えない事あるように思う。

 

カトウ:
僕らって、すぐ自力で自己改革にとりくんじゃおうとするからね。

 

ナカガワ:
でもさ、聖書には「自分の十字架を負いなさい」とも書かれてるんだよね。

 

カトウ:
うーん。「自分の十字架を負う」ってそういうこと?何か違う気がする。

 

ナカガワ:
僕も多分違うと思う、ハハハ…。今流行りの「自己責任」じゃないしね。
だから、やっぱり、イエス様の十字架でしょ!!!!

 

カトウ:
あっ、それ僕のセリフ!

でも、十字架ってホント不思議。
自分の罪がはっきり示され、とても辛い場所なのに、そこに僕らのために命を捨て罪を赦すイエス様がいるんだよね。

 

ナカガワ:
罪の赦しの洗礼。でもそれは、罪からバイバイ!というようなことじゃない。
きっと、そこに「自分の十字架を負う」本当の意味が隠されているのかも知れません。

赦されるから許し合える。
ご一緒に放送を聴いて、そのことに思い巡らして頂けたら幸いです。


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

45 われらは罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す(2)

聴取期限2/17
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。