讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

46.われらは死人のよみがえりと来るべき世の生命とを待ち望む。アーメン(1)

キリスト教では、人間の肉体は朽ちゆくゆえに、何か一段低い劣ったものとは考えられていはいません。むしろ、肉体や物質は、神が創造したもうもののゆえに、元来は善なるものであり、それを用いて、神が栄光を現してくださると考えました。このことは逆にいえば、人間の罪ということも、ただ人間の心や魂の問題ではなくて、人間の全人格の問題ということになります。人間はその全存在・全人格において罪を犯すのであり、その罪の結果、死に服しているのです。

 

カトウ:
「人間の全存在・全人格が罪を犯す」って、あんなことをしてしまったとか、こんな悪いことを言ってしまったとかじゃなくて、「自分」そのものが罪ってこと?

 

ナカガワ:
こう言われちゃうと、どうしようもないよね。
だって、改善や頑張りっていうレベルのことじゃないもの。

 

カトウ:
じゃあ、どうしたら良いの?

 

ナカガワ:
うーん。どうすることも出来ないのかも。
だって「死に服している」って、そうじゃない人っていないでしょ。
みんな例外なく死ぬし。

 

カトウ:
「罪が支払う報酬は死(ローマ6:23)」って、頑張って良い人間ならなきゃって自動変換してどこか受け取っていた。でも、違うんだね。
でも、どうすることも出来ないの?

 

ナカガワ:
人間が全存在で罪を犯して死に服しているなら、その救いも全存在・全人格的だっていうことなんじゃないかな…。

 

カトウ:
そうだよ。イエス様の十字架とよみがえりだよ!!
イエス様こそ、全存在・全人格的に僕たちを救ってくださってるようが気がする。

 

ナカガワ:
気がするって…。

でも、そうかも。全存在・全人格的な救い主って、イエス様だ!

かなり哲学的に聞こえるテーマですが、でも救いは全存在的だって腑に落ちませんか?
皆さまもぜひ、放送を聴いてご一緒に思い巡らして頂けたら幸いです。


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

46 われらは死人のよみがえりと来るべき世の生命とを待ち望む。アーメン(1)

聴取期限2/24
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。