47.われらは死人のよみがえりと来るべき世の生命とを待ち望む。アーメン(2)
使徒信条は「とこしえのいのちを信ず」と告白しています。それに対してニカイア信条は「来るべき世の生命」と言う事によって「この世」と「来るべき世」の質的な相違を強調していると見ることが出来ます。
…(中略)…
必ずいつか良いことがある、そういう心理作用の中で、何か少し希望を持つと言うことも、あるかもしれないですよね。この世はやっぱり良いことあるよ、帳消しになるよ。それを悪いっていうわけじゃないですよね、そういう風に考えるのは。
でも、キリスト教は、そうは考えないんですよね。究極的な現実は、私たちの歴史の現実ではないってことで、それを超えたところがあるってことなんです。
カトウ:
「来るべき世」ってあんまり真剣に考えたことないなあ。質的相違って言われても。
ナカガワ:
現実感ないものね。
でも、だからじゃない?違うって強調する必要があるのも。
カトウ:
どういうこと?