讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

47.われらは死人のよみがえりと来るべき世の生命とを待ち望む。アーメン(2)

使徒信条は「とこしえのいのちを信ず」と告白しています。それに対してニカイア信条は「来るべき世の生命」と言う事によって「この世」と「来るべき世」の質的な相違を強調していると見ることが出来ます。
…(中略)…
必ずいつか良いことがある、そういう心理作用の中で、何か少し希望を持つと言うことも、あるかもしれないですよね。この世はやっぱり良いことあるよ、帳消しになるよ。それを悪いっていうわけじゃないですよね、そういう風に考えるのは。
でも、キリスト教は、そうは考えないんですよね。究極的な現実は、私たちの歴史の現実ではないってことで、それを超えたところがあるってことなんです。

 

カトウ:
「来るべき世」ってあんまり真剣に考えたことないなあ。質的相違って言われても。

 

ナカガワ:
現実感ないものね。
でも、だからじゃない?違うって強調する必要があるのも。

 

カトウ:
どういうこと?

 

ナカガワ:
「必ずきっとよいことある」って信仰って事に関わらず、良く言いがちじゃない?

 

カトウ:
はい。特に難しいシチュエーションなんかだと。だって、そうしないと…。

 

ナカガワ:
そうしないと?…そこで満足しちゃうっていうか、留まっちゃうでしょ。
一応希望っぽくなってるし。だから、「究極的な事実」なんだよ。

 

カトウ:
究極的な事実…。
それってイエス様だ!
イエス様の受肉、受難、十字架、そして復活!!

 

ナカガワ:
あと、来るべき世だよね。

 

カトウ:
忘れてました!ついつい。

 

ナカガワ:
ついつい、ねえ。
だから、「来るべき世の命を待ち望む」ってことじゃない?

皆さまはいかがですか?
歴史的現実を超えた究極的な事柄に集中するってキリスト教の希望ってどう思いますか?
そんな事を思い巡らしながら放送を聴いてくださったら嬉しいです。


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

47 われらは死人のよみがえりと来るべき世の生命とを待ち望む。アーメン(2)

聴取期限3/2
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。