讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

48.教会と信条

「各自の信仰の経験が先にあって、その後に信条が生じるのではない。信条のほうが、各自の信仰の経験よりも先である」(神学者・熊野義孝)

 

カトウ:
いよいよ今回で、信条本文の学びはおしまい…!
でも、信条で言われていることが、本当にそのとおりだ、アーメンって自分が信じないと、誰が信じたことになるの?教会っていう人はいないのに。

 

ナカガワ:
やっぱりそこに戻るよね。私と私達の問題。
でも一方で、そもそも僕らの信仰って、自分が先ってことは、ありえないしね。

 

カトウ:
…うん。イエス様と出会った、いろいろな方たちが伝え、守ってきたその信仰の先に自分がいるんだからね。
でも、最後の最後でダメ出しのように言われるとちょっとね〜。

 

ナカガワ:
ハハハ。確かに。
でも、それだけ大切な事なんだよ、きっと。
最後に感じ悪くなっても言わなきゃいけないって。
だって、いろいろ学んでも、結局自分の感動や思いにだけに閉じ込めてしまったら、もったいない!

 

カトウ:
Mottainai!(英語風)

でも、そうだね。僕らじゃないんだよね。その中心に、いつも十字架と復活のイエス様がいるんだよね。そこから、すべてが始まる!

やっぱり、イエス様です!

 

ナカガワ:
アーメン!
やっぱり、イエス様です。

さて、ニカイア信条本文の学びの最後に、もう一度ご一緒に、ご自身の信仰と信条の関係を見つめてみませんか?


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

48 教会と信条

聴取期限3/9
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。