「老い」を主イエスから考える。

【一部業務休止のお知らせ】
新型コロナウィルスの感染拡大にともない2月27日(木)〜3月6日(金)までの期間、以下の業務を休止させていただきます。皆さまのご理解とご協力を賜りますよう、何卒お願い申し上げます。
・ご献金、ご注文代金等の入金確認
・MP3ディスクなどの各種ご注文の対応
・お電話でのお問合せ


3月で最終回を迎える「キリスト信仰としての『終活講座』」。
今回は北村善朗神父様に、そのものズバリ「老い」とはなにかというお話をお聞きしました。

「老い」は人間として当たり前のことです。そして、これが「当たり前である」ということは、老いるということは人間として生きることの一部であり、もっと言えば、これが人間であるということです。人間の定義が若くて何でも出来るということであるとすれば、それはただ単に人間の「器」だけしか見ていません。…では、イエス様は「老い」ということをどう理解しておられたのでしょうか?

神父様はその手がかりを「十字架」に見ます。
イエス様が十字架にかかられたのは壮年の頃ですから、
普通に考えると、老いとはあまり関係ないようにも思うところです。…

続きを読む>>