讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

52.最終回・みなさまからのご質問にお答えして(4)

リスナーの方からのご質問
「使徒信条にある『陰府にくだり』が、ニカイア信条に無いのは何故ですか?」
「なぜ多くの教会は、ニカイア信条ではなく、使徒信条を告白するようになったのですか?」

 

関川:
「ニカイア信条には『陰府にくだり』が無いのは何故か・・・これを正確に説明するのは実は難しいんです。」

 

吉崎:
「あまりはっきりとは分からないんですか。」

 

関川:
「ええ。でもだからといって、ニカイア信条は『陰府にくだり』を否定や無視はしていないのです。
つまり、ニカイア信条が告白する『葬られ』ということは、イエス・キリストの死が『本当の死』だと言っているのです。

1コリント15:3
『最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。
すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと』

これは、主イエスが十字架で処刑された直後に、人々が口から口へ伝えた伝承です。
新約聖書の中で一番古い、『原石』のようなものです。
この『葬られたこと』をニカイア信条は受け継いでいるんです。

それから、ラテン語圏かギリシャ語圏かで、どういう信条を使うか定まってきた経緯があります。
西方教会はラテン語で作られた使徒信条を、
東方教会ではギリシャ語で作られたニカイア信条を用いるようになっていったんです。」

 

吉崎:
「先生が牧会しておられる教会では、使徒信条を唱えながら、どうしてわざわざニカイア信条も・・・?」

 

関川:
「両方共、『公同の信仰』を言い表しているのですが、それぞれに特色があるんです。
そして私は、『公同信仰に教会が立つ』という時、両信条を使った方が良いのではと考えています。」

 

吉崎:
「先生からずっと教えて頂く中で、新鮮に『あっ、そうか』と私自身が頂いた恵みがありました!」

 


讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
お相手:吉崎恵子

52 最終回・みなさまからのご質問にお答えして(4)

聴取期限4/6
(約22分)


ニカイア信条(関川泰寛訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。

われらは信ず。唯一の主イエス・キリストを。主は神の御(おん)独り子、よろず世に先立って、御父(みちち)より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父(みちち)と同質にして、万物は主にあって成れり。主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より降り、聖霊により、おとめマリアより肉体をとり、人となり、われらのためポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天に上り、御父(みちち)の右に座したまえり。生ける者と死ねる者とを審(さば)くために、栄光をもって再び来たり給う。その御国は終わることがない。

われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を。聖霊は、御父(みちち)と御子(みこ)より出で、御父(みちち)と御子(みこ)と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。
われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を。われらは、罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す。われらは、死人のよみがえりと来たるべき世の生命(いのち)とを待ち望む。