詩編 第2編(2)
お前はわたしの子
今日、わたしはお前を生んだ。
“詩編2編は歴史的な現実を歌っているとは思えない。
ーだとしたら、この詩編はなにを歌おうとしているのか。” by雨宮神父
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<今日のポイント>
イスラエルの王の認定状には、他国にはない言葉が加わっていたと言います。
“お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。”
この言葉が表すのは、神と王の関係は法律的な関係に限られており、
王は神の意志を実現する手段にすぎない、ということ。
・・・え〜?!そんなドライな見方、ありなんですか?
でも、そのことと、この“現実を歌っていない”詩編は一体どうつながるのでしょうか?
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
4 詩編 第2編(2)
聴取期限5/8
(約22分)
“イスラエルの王は、神の意志を実現するための手段。
王がその役目を果たさないなら、神によって否定されることになる。”
え〜?イスラエルの民の“王”への見方って、なんて厳しいんでしょう・・・。
でもそれくらい真剣に、主なる神様おひとりだけを大切にしていたってこと?
だから、この詩編2編のような“現実を歌っていない詩編”が歌われたのでしょうか・・・?
敵国に侵略される中で、「畏れ敬って 主に仕え」と歌うなんて、やっぱり“身分不相応”。
でも、神父様がおっしゃっていたように、“歴史の背後におられる神の姿をはっきり見るならば”、
たとえどんな状況にあっても、主なる神を仰げるのかもしれません。
それでも(!)、敵国に侵略をされている中で、ここまでハッキリ主を仰ぐことができるなんて…
はぁ〜、あまりの奥深さにため息です。