旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第3編(1)

主よ、それでも
あなたはわたしの盾

“フランシスコ会訳ではここを、
「しかしヤーウェよ あなたこそわたしの生涯の主」と訳しました。”by雨宮神父

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<今日のポイント>

“訳の違い”が意味すること/詩編3編4節/a, 新共同訳/b, フランシスコ会訳/a, 主よ、それでも あなたはわたしの盾/b, しかしヤーウェよ あなたこそわたしの生涯の主/原語「マーゲン」/:「盾」と訳されるが、「主(あるじ)」の意味もあると考えられている。/→単純に「盾」か、「主」を意味するのか。
・a, わたしの栄え わたしの頭を高くあげてくださる方。/・b, わたしの顔を起こして下さる 栄えある御者(おんもの)。/原語「カーボード」/:神からくる重みを表す。具体的には「富、業績、地位」。更に、重みそのものである「神」をも表す。/→神からくる「わたしの名誉」か、「神そのもの」を表すか。


「盾」が「生涯の主」、「わたしの栄え」が「栄えある御者(おんもの)」…?
え〜そんな!!全然違う言葉に聞こえます。
でも、どちらも同じ言葉から訳されているとのこと。
一体どうして、こんな訳の違いが生まれるのでしょうか?

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

5 詩編 第3編(1)

聴取期限5/15
(約22分)

担当者トマ子のつぶやき

訳の違いには、それぞれしっかり根拠があったんですね。
その根拠に触れることで、こんなに福音が豊かに響くとは・・・!
嬉しい発見です。

でも喜びつつ、実は神父様がおっしゃった注意に、ドキッとさせられました。
「ある訳を絶対化するのは危険なこと。大事なのは、どちらの訳が正しいかと考えるのではなく、どうしてそのように訳されたのか、その根拠を知ること」
そうなんです。
実は、“この訳には、こんな歴史や思いが込められていたんだ〜”って喜びつつ、
“じゃあどっちが良い訳なの?正しい解釈をしているの?”って心の中で比べていたんです。

そんな私に、主は神父様を通して
「そうじゃなくて、御言葉の根っこそのものを味わうように」と教えてくださったのかなと思います。
それぞれの訳の根っこ、そこに表された主の深い愛を、
心を低く聴いてゆくことができますように・・・。