旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第6編(1)

主よ、憐れんでください
わたしは嘆き悲しんでいます。

“詩編6編は、どこに注目をするかによって、
特徴を3つに表すことができます。”by雨宮神父

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<今日のポイント>

“対応関係” 詩編6編2~5節、9~11節/6:2-5主よ、怒ってわたしを責めないでください…/主よ、憐れんでください…/主よ、癒してください…/主よ、いつまでなのでしょう…/主よ、立ち帰り わたしの魂を救い出してください。…/・・・/6:9-11主はわたしの泣く声を聞き/主はわたしの嘆きを聞き/主はわたしの祈りを受け入れてくださる。/敵は皆…たちまち退いて、恥に落とされる/対応関係/①5回“主よ”⇔3回“主は”/②(主が)“立ち返る”⇔(敵が)“退く”=同じ“シューブ”:元いた場所に戻るの意味。→主が、私の元に立ち帰って下さるなら、敵も、元いた場所に戻ることになる。


詩編6編には、3つのテーマが表れているのだとか。
悔い改め、病の癒やし、そして敵からの解放
―どうして一見バラバラな祈りが、ひとつの詩編の中で祈られているのでしょうか。

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

7 詩編 第6編(1)

聴取期限5/29
(約23分)

担当者トマ子のつぶやき

どんな苦しみの時でも神に祈ることができるように、そういうことだったんですね。
そして、バラバラな祈りのようで、実は葛藤から確信に向かって、
祈りが呼応して、繋がっていたとは!驚きました。
ただ、そのお話の中で神父様がおっしゃった
“私たちが生きていれば、あらゆる類の苦しみ、困難がありえます。”
との言葉に、立ち止まってしまいました。

本当におっしゃっる通り・・・でも、その苦しみをなかなか認められないんですよね・・・。
“なんでこんなことが?”と現実に怒ったり、逆に閉じこもってしまったり。
“主よ、助けて下さい”の一言が出せなくて、
どうして私は肝心な時に不信仰なんだろう!、と思いました。

でも、神父様は、この詩編を
“誰でも、祈りのために用いることができる詩編”だっておっしゃいました。
・・・それなら、こんな私でも心を合わせていい詩編、
そのための詩編?
うーん、まさか。
でも、それなら・・・私でも、この詩編を祈っていいのでしょうか。