詩編 第6編(1)
主よ、憐れんでください
わたしは嘆き悲しんでいます。
“詩編6編は、どこに注目をするかによって、
特徴を3つに表すことができます。”by雨宮神父
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<今日のポイント>
詩編6編には、3つのテーマが表れているのだとか。
悔い改め、病の癒やし、そして敵からの解放
―どうして一見バラバラな祈りが、ひとつの詩編の中で祈られているのでしょうか。
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
7 詩編 第6編(1)
聴取期限5/29
(約23分)
どんな苦しみの時でも神に祈ることができるように、そういうことだったんですね。
そして、バラバラな祈りのようで、実は葛藤から確信に向かって、
祈りが呼応して、繋がっていたとは!驚きました。
ただ、そのお話の中で神父様がおっしゃった
“私たちが生きていれば、あらゆる類の苦しみ、困難がありえます。”
との言葉に、立ち止まってしまいました。
本当におっしゃっる通り・・・でも、その苦しみをなかなか認められないんですよね・・・。
“なんでこんなことが?”と現実に怒ったり、逆に閉じこもってしまったり。
“主よ、助けて下さい”の一言が出せなくて、
どうして私は肝心な時に不信仰なんだろう!、と思いました。
でも、神父様は、この詩編を
“誰でも、祈りのために用いることができる詩編”だっておっしゃいました。
・・・それなら、こんな私でも心を合わせていい詩編、
そのための詩編?
うーん、まさか。
でも、それなら・・・私でも、この詩編を祈っていいのでしょうか。