旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第7編(2)

主よ、裁きを行って宣言してください
お前は正しい、とがめるところはないと。
“この詩編は、神の正しさがはっきり示されることを求めている
といってよいと思います。”by雨宮神父

***

<今日のポイント>

“ 神の義”への求め/詩編7編9、18節/9節(直訳):主よ、わたしを裁いて下さい、/わたしの義に従って、 そしてわたしの潔白に従って。/1神は、わたしの義をしっかりと認める/18節(直訳):主の義に従って、 主に、わたしは感謝するだろう。/2神は、壊された秩序を回復する(=神の義を示す)


この詩編のテーマは「神の義」、
そして「神の義が、明確に知らされる最も良い方法は、
敵が滅びること」と神父様はおっしゃいます。
・・・そんな〜!
まさに、そこが分かりません・・・。
敵の滅びを願うこの詩編を、どう受け止めればいいのでしょうか。

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

10 詩編 第7編(2)

聴取期限6/19
(約23分)

担当者トマ子のつぶやき

“敵の滅びそのものが目的でなく、大切なのは神の義が示されること”
という神父様の言葉に一安心しました。
そして、なにを神の義と信じるか、
まさにそこに旧約聖書と新約聖書の違いがあったなんて・・・!

旧約では、敵が滅びることが神の義、
でも新約では、“人間には思いもつかない方法で、神が義を示されたと信じるなら、
もう敵の滅びを祈る必要はなくなる”、と。
その神の義が、イエス様の十字架だったなんて・・・。

う〜ん。そう聞いて、なんだか戸惑ってしまいました。
イエス様を信じながらも、「私が正しい、相手の方が間違っている」と
躍起になってしまう私には、新約聖書の“神の義”はまだまだ遠い???

でも、イエス様はこの私も十字架で背負ってくださったのなら、
もしかして、主のまなざしは、
相手じゃなくて、この私の方に向けられている・・・のでしょうか?