詩編 第13編(1)
いつまで、主よ
わたしを忘れておられるのか。
“詩編13編は、
代表的な嘆きの詩と呼んでよいかもしれません。”by雨宮神父
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<今日のポイント>
嘆きというと、深〜いため息や落ち込みのこと?と思ったのですが、
“聖書の言う「嘆き」は、わたしたちが普通に言う「嘆き」とは
全く違っています。”とのこと!
一体、聖書はどのように嘆きを訴えているのでしょうか。
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
11 詩編 第13編(1)
聴取期限6/26
(約23分)
“私たちが普通嘆く時には、私と敵しか存在しないように思います。
しかし、それは所詮不平不満をぶつけるということで終わってしまいます。”
神父様、なんてことを!
もしかして私の嘆きも、“所詮不平不満”をぶつけているだけ?
・・・とてもグサリと来ました。
それなら、一体何が“嘆き”なの?と思って聞くと、
“聖書では、嘆きを神にぶつけていきます”と。
でも、お話を聞いていくと、
この神への嘆きには、神への不信と信頼のせめぎ合いや、
神の真意がどこにあるのか掴めない苦しみが表れている、と。
神に対するせめぎ合い、苦しみ・・・
そんな愚痴を呟くことよりもずっと厳しい場所に立たないといけないなんて。
それでも、聖書では、神に向かって嘆いているのですよね。
一体、どうしてでしょうか。
いや、神様どうしてでしょう、あなたがそこに私を招かれるのは・・・!