詩編 第14編(1)
神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。
“神を知らぬ者、直訳は「愚かな者」です。
ですが、私たちの考える愚かさとは、違いがあります。”by雨宮神父
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<今日のポイント>
神を知らぬ者は、「愚かな者」?
神父様、それは言い過ぎでは・・・!
それなら、神を知っている人は、賢い人?偉い人?
う〜ん、どうもしっくりきません。
それは一体どんな「愚かさ」なのでしょうか。
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
13 詩編 第14編(1)
聴取期限7/10
(約23分)
今日のお話を聞いて、
「神を求める」イメージが、すっかり変わってしまいました。
神父様はお話のなかで、
「物事の背景を洞察し、神の計画を見抜き、それに合わせて生きる人。
聖書の述べる賢さは、神を求めることです。」
とおっしゃいました。
え〜神を求めるって、まず「物事の背景を洞察」することなんですか?と。
神を求めるといったら、聖書を開く、御言葉を聞く、イエス様に祈る・・・!
それに、物事を洞察するどころか、私はいつも現実の物事から逃げるようにして
主イエス様にお祈りしています・・・。
これじゃ、神様を求められていないんだ!
どうしよう、とため息です。
自分にとって嬉しいことは、
「きっと神様のご計画だ」って、とても簡単に神様を見つけます。
でも、そうでない時、その現実と向き合って、主を求める・・・?
さらに、そのみ心に合わせて生きる!
・・・はぁ、なんて私から遠いのでしょうか。
主イエス様、どうか、本当にあなたを求めさせてください。