詩編 第16編(1)
ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。
わたしは・・・彼らの神の名を唇に上らせません。
“ここでは、偶像礼拝は無意味だと宣言しています。”by雨宮神父
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<今日のポイント>
偶像礼拝者には苦しみが加わる!
・・・でも、そう言う詩編作者自身は一体どんな人?
つい、そう聞いてしまいたくなります。
どんな背景から、詩編作者はこの言葉を語ったのでしょうか。
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
17 詩編 第16編(1)
聴取期限8/7
(約23分)
詩編作者についての解釈は3つもあるんですね〜。
その中でも、過去に偶像礼拝者だったとするフランシスコ会訳に、
あれ?と思う箇所がありました。
すべてわたしの喜びであった〈力ある者ら〉(=偶像)
偶像は「私の喜び」だったんだ、と!
・・・作者は、どんな思いでこの詩を歌ったのでしょう。
かつて私を喜ばせてくれたものが、
実は空しい偶像にすぎなかったなんて。
なんだかやるせない思いになってしまいそうです。
でも、作者は、
その名を口にすることもしない、とキッパリ宣言しています。
偶像からくる喜びを名残惜しむのではなく、
神様を求めて、前を向いて・・・!
これはきっと、真の神様に出会ったからこそ。
そう思うと、この詩編が
「偶像を断ち切って、これからは真の神様と生きていきたい」
そんな力強い信仰の告白にも聞こえてきました。