旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第16編(2)

わたしは輝かしい嗣業を受けました。

“ここでは、イスラエルの神、主に従う者の生き方が語られています。”
by雨宮神父

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<今日のポイント>

主に相対するー“ネゲド”が意味するもの/わたしは絶えず主に相対しています。(詩編16:8)/常にわたしの正面(=ネゲド)に主を置く◇ネゲド・・・目の前にあって人の注意を惹くもの/人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。(創世記2:18)/彼のネゲドとして助けを造ろう。/わたしは主の裁きをすべて前に置き主の掟を遠ざけない。(詩編18:23)/すべての主の裁きがわたしのネゲドに


詩編16編後半では、偶像礼拝との決別の言葉から一転して、
主と共に生きる喜びが語られます。
その転換点である、詩編16編5節から
今日は解き明かしをしていただきます!

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

18 詩編 第16編(2)

聴取期限8/14
(約23分)

担当者トマ子のつぶやき

詩編16編の後半は、どう受け取ったらいいのでしょう・・・。
まさか主が腹の底に語りかけて下さるなんて!
私も、「主よ、どうぞ私の腹わたにも語りかけて下さい」と祈ってしまいました。
耳で聞いても、頭で理解しても、心が定まらない時は、
腹の底で、主のみ声を聴く!受け止める?!
・・・なんて、これまで思いもしなかったことですが、
主を信じるとは、主にとことん腹を割って話し、
腹で聞くことなのでしょうか。

そうやって主と深い交わりを生きたこの詩編作者、
でも実はかつての偶像礼拝者、
もしくは、偶像礼拝の危険をよく知っていた人だったんですよね。
偶像の存在を身近に感じつつ、こんなに純粋に主を喜んでいる・・・
この作者の姿に、私は救われた気がしました。

それは、私も自分で偶像を作り、追い求めてしまうからです〜。
でも、そのような私にも、主はみ声を届けて下さるのですね。
主のみ声が、私のお腹に届くよう(!)
「主よ、どうかお語り下さい」と、祈りたいと思いました。