詩編 第27編(1)
主はわたしの光、わたしの救い
わたしは誰を恐れよう
“ここでは、光であり、救いである神への強い信頼が語られています。”by雨宮神父
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<今日のポイント>
この詩編は、神への確信を歌っているんだな・・・
と思っていると、後半から突然、
「主よ、憐れんで、わたしに答えてください。」
という切なる祈りが始まっていきます。
確信か、祈りか・・・?神父様、この作者の心はどこにあるのでしょうか。
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
21 詩編 第27編(1)
聴取期限9/4
(約23分)
「主はわたしの光、わたしの救い」と考えているから、
苦境の中で、「救いの神よ、わたしを離れないでください」と
祈ることができる。
この神父様の言葉を聞き、
ひょっとすると苦境の中で、“神様なんてあてにならない!”と、
祈りをやめてしまうこともできたんだ、と思いました。
でも、この詩編作者は、主を信頼して
「わたしを離れないでください」と祈ったのですね。
でも、主を信頼するといったら、ぶれない強い確信を持つことだと思っていました。
離れないで下さい、見捨てないで下さいなんて言わずに。
でも、この詩編作者はなんて素直に自分の不安を祈り、
切実に祈っているのでしょうか・・・。
主を信頼しているのならなおさら、
もっと祈ってほしい、あきらめずに、隠さずに・・・!
これが、主の私たちへの御心、
いや、私への(!)主の語りかけなのだと感じました。