旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第34編(4)

主は打ち砕かれた心に近くいまし…

“これは神の前にへりくだる敬虔な者、というイメージではないように思います。” by雨宮神父

<今日のポイント>

“打ち砕かれた心”とは/詩編34編19,21節/19:主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる。/21:骨の一本も損なわれることのないように/彼を守ってくださる。/■動詞シャーバル(砕かれる)の用例/・首を折って(サムエル上4:18)/・わたしの心臓はわたしのうちに破れ(エレミヤ23:9)/→生きる力が萎え、意気消沈している状態


担当者トマ子のつぶやき

神の前に砕かれた者、というと
確かに、神の前に頭を垂れてへりくだるイメージです。
でも、本当はそうではないのだとか・・・!
神父様、一体どんな意味が隠されているのですか?

今回、私はずっと思い違いをしていた!と気付かされました。
“苦しみの中で神の近さを知れるかどうか”
こういうことを語られる度、
“苦しい時でも必死で耐えて、聖書を読んで、
ちゃんと神様を求めないとだめなんだ”って思っていたんです〜。
でも、この信仰者は、ぐしょぐしょに砕かれて意気消沈しているんですよね。
え〜どういうこと?と思いました。

でも、そこで思ったのは、
意気消沈するって実はできないな、ということでした。
今はない望みにすがっていたり、
内心文句があったり、安易な救いを求めていたり。
自分の中にうずく望みを捨て去って、へたりこんで、神様だけを見つめること…
あぁ私にはできないなって…。

だから実は、意気消沈するって神様の恵みなのかもしれません。
この信仰者も、ぐしょぐしょに砕かれていますが、
それは、神様の近くにいて、
救いに満たされているからかも、と。
それなら、私ももっと神様に近づきたい、
そして、自分の鎧を脱ぎたい!そう思いました。

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

32 詩編 第34編(4)

聴取期限11/20
(約23分)