詩編 第35編(5)
わたしの舌があなたの正しさを歌い…
“この歌う、と訳されている言葉は、ハーガーという動詞です。”by 雨宮神父
<今日のポイント>
繰り返し、敵が描写される詩編35編。
最後の第3段落も、
敵への祈りから始まります。
追い詰められた詩編作者は、なにを祈り求めていくのでしょうか。
苦しみ続きだったので、
この詩編がどんな言葉で閉じられるのかが気になっていました。
そして、28節
“わたしの舌があなたの正しさを歌い…賛美しますように”
この“歌う”の意味が、心に残りました。
神父様はこの“歌う”を、“むしろ、思い返すではないか”と言い、
“救いを思い巡らし、
神の業を受けた者として生きていく”、そのような意味だと。
それまで詩編作者は、
神が私から離れていると嘆き、
どうか、私との関係に誠実であってほしいと願っているんですよね。
…でも、この願いに、
神様が人を見捨てること、
不誠実なことなんてあるんだろうか…
そう感じていました。
本当は、神様はいつも傍におられ、誠実に関わっておられるでは…?
そんな神様に気づき、より深く近づくことを拒んでいるのは
人間の側、私自身なのでは?と。
だから、詩編作者の最後の姿に、
目が開かれました。
現状から一歩引き、主の救いに留まること…
これは私への招きでした。
旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
37 詩編 第35編(5)
聴取期限12/25
(約23分)