旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第38編(1)

主よ、怒ってわたしを責めないでください。

“この詩編は、伝統的に7つの悔い改めの詩編のひとつとされています。”by雨宮神父

<今日のポイント>

名詞“アーボーン”の意味/詩編38編5節/わたしの罪悪(=アーボーン)は頭を超えるほどになり.../・この【罪】は、お前たちにとって...(イザヤ30:13)/・若い日の【罰】をも今なお負わせられる。(ヨブ13:26)/・カインは主に言った。「わたしの【罪、罰】は重すぎて負いきれません。...」(創世記4:13)

担当者トマ子のつぶやき

詩編38編の作者は、
自らの罪を認め、それによって病を得たと告白します。
罪と、罰。
このふたつの関係を、詩編38編は、
そして私たちはどう捉えているのでしょうか。

今日のお話は、心の痛いお話でした。
この詩人は自ら
“私が苦しんでいるのは、
私が罪を犯したからだ”と告白しています。
けれど、本人がそう告白しなくても、
第三者が、
“あなたが苦しんでいるのは、あなたが過ちを犯したからだ”
そう言って非難することは、
ヨブ記にあったように、今もあると思ったからです。

私も恥ずかしい思いでいっぱいですが、
思わぬ挫折や失敗をした人に、
“結局、あなたの責任じゃないか”
そう思っていたことがあります。

そして、いざ自分がつまずくと、
人を非難していたように、
自分を非難することしかできず…。
だけど、そうやって自分を責めても、救われないのですよね。

つまずいた時、病を得た時、
本当に救われるにはどうしたらいいのか。
そして、そういう方が目の前にいたら、
どんな眼差しを向けることが、神のみ心なのか…
主から問いかけられた思いです。


旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

44 詩編 第38編(1)

聴取期限2/12
(約23分)