旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第38編(3)

わたしの敵は強大になり
わたしを憎む者らは偽りを重ね…

“前半部と後半部では、詩編作者の態度にズレがあります。”by雨宮神父

<今日のポイント>

詩編作者の“矛盾”する態度/詩編38編/◇〈前半〉ー自らの罪を認める/4:わたしが過ちを犯したからです。/5:わたしの罪悪は頭を超えるほどになり.../◇〈後半〉ー敵を不当を訴える/20:...わたしを憎む者らは偽りを重ね/21:善意に悪意をもってこたえます。

担当者トマ子のつぶやき

自らの罪を認める前半部、
一方、罪をあげつらう敵を訴える後半部。
確かに、作者の態度は矛盾して見えますが、
ここには、深い“罪”の問題があるのだとか…。
神父様、一体どういうことでしょうか。

神父様の
“罪はまず、隠すべきものとして表れる”
この一言に、ドキッとしました。

・・・実は、私はよく“隠す”ので、友人から怒られるんです。
言い出したことを、途中で隠すので、
“最後までちゃんと言って!”と。
だから、“隠すところに罪がある”ということが
真っ直ぐに刺さりました。

罪というと、
“あんなことしなきゃよかった…”や
“これは、罪を犯すことになるんじゃないか”など、
良心の呵責になるものと思いがちです。
でも、そういうアレコレは表面的な問題なのですね。
少しほっとしました。

でも、むしろ本音を隠してしまうこと、
それ自体が罪かも…と思いました。
それなら私は罪が深いです。
罪だらけです!
・・・初めて気付かされたのですが、なぜか嬉しい気持ちです。
この隠す罪をどうしていくか、
主に相談したいと思います。


旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

46 詩編 第38編(3)

聴取期限2/26
(約23分)