旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第41編(2)

わたしは申します。
「主よ、憐れんでください。」

“「申します」ではなく、「言った」と過去の形で訳すこともできます”by雨宮神父

<今日のポイント>

さまざまな解釈の可能性ー訳の違いー/詩編41編5,12-13節/〈新共同訳〉5:わたしは申します。「主よ・・・」/12:そしてわたしは知るでしょう/13:どうか無垢なわたしを支え/・・・御前に立たせてください。/〈口語訳〉5:わたしは言った、「主よ・・・」/12:わたしは知ります。/12:あなたはわたしの全きによって、わたしをささえ、/・・・み前に置かれます。

担当者トマ子のつぶやき

言葉に曖昧さがあり、
それゆえ、いろいろな解釈ができる。
そんなヘブライ語の特徴が現れているという詩編41編。
今日は、その後半をお話いただきます。

「ひとつの訳を絶対化しないのがよい」
先週の神父さまの言葉が、ひっかかっていました。
慣れ親しんだ訳の聖書の
限界を示されたようで・・・。
私にとって大切な、あの御言葉も、この御言葉も、
「ひとつの訳」にすぎないのか〜と。

今回の詩編41編後半も、
原文はいろいろに解釈が可能とのこと。
神父さまは、やはり
「ある訳は、どうしてもひとつの解釈です」と。

また複雑な気持ちになりましたが、
そこでもう一度、聖書の言葉を見た時、
ハッとしたんです。
・・・このどの言葉の裏にも、
実はたくさんの解釈の可能性が隠されているんだ、と!

そして、どの解釈の言葉で祈るか、
それは、祈り手次第なんですよね。
詩編41編から、
嘆きを祈るか、感謝を祈るか・・・。
その時々の心を汲み取り、祈って良いなんて
これは信仰者にとって、大きな恵みじゃないかなと感じました。


旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

50 詩編 第41編(2)

聴取期限3/26
(約23分)