旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第26編(2)

悪事を謀る者の集いを憎み・・・

“ここでは、悪人を拒絶する強い意志が表されています。”by雨宮神父

***

<今日のポイント>

悪人との“対比”/詩編26編5-10節◇原文/悪を憎む/5節 悪を行う者たちの集いをわたしは憎んだ/(わたしの手)/6節 わたしの手を潔白さの中で洗うだろう...7節 ...すべてあなたの驚くべき業を物語るために/主を愛する/8節 主よ、わたしは愛した/あなたの家の住まいを あなたの栄光の宿営の場所を/(悪人の手)/9節 わたしの魂を罪人たちと共に...集めないで下さい/10節 悪事が彼らの手の中に 彼らの右手は賄賂で満ちている


偽る者、欺く者、悪事を謀る者、
そういう人と共にいることはしない!
そんな詩編作者の意志が感じられる、今日の詩編。
その強い意志には、一体なにが隠されているのでしょうか。

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

20 詩編 第26編(2)

聴取期限8/28
(約23分)

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旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第26編(1)

わたしは完全な道を歩いてきました。

“ここでの完全さは、倫理的な完全さではないかもしれません。”by雨宮神父

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<今日のポイント>

どのような“完全さ”?/詩編26編1-3節/◇命令形での表現を除くと・・・/(命令形:主よ、あなたの裁きを望みます。)/わたしは完全な道を歩いてきました。/主に信頼して、よろめいたことはありません。/(命令形:主よ、わたしを調べ・・・試してください。)/あなたの慈しみはわたしの目の前にあり/あなたのまことに従って歩き続けています。


「わたしは完全な道を歩いてきました」と
はっきり言えるなんて・・・。
この詩編は、自信のある信仰者だけが
唱えることのできる詩編なのでしょうか。
そんな、まさかです!
倫理的な完全さでないなら、この言葉はどういう意味なのでしょうか?

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

19 詩編 第26編(1)

聴取期限8/21
(約23分)

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旧約聖書のこころ―詩編―(再)


詩編 第16編(2)

わたしは輝かしい嗣業を受けました。

“ここでは、イスラエルの神、主に従う者の生き方が語られています。”
by雨宮神父

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<今日のポイント>

主に相対するー“ネゲド”が意味するもの/わたしは絶えず主に相対しています。(詩編16:8)/常にわたしの正面(=ネゲド)に主を置く◇ネゲド・・・目の前にあって人の注意を惹くもの/人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。(創世記2:18)/彼のネゲドとして助けを造ろう。/わたしは主の裁きをすべて前に置き主の掟を遠ざけない。(詩編18:23)/すべての主の裁きがわたしのネゲドに


詩編16編後半では、偶像礼拝との決別の言葉から一転して、
主と共に生きる喜びが語られます。
その転換点である、詩編16編5節から
今日は解き明かしをしていただきます!

 

旧約聖書のこころ―詩編―(再)
雨宮 慧
(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

18 詩編 第16編(2)

聴取期限8/14
(約23分)

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