讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

11.全能の父(3)

「(神の全能は)無内容な・ひまな・ほとんど眠ったようなものではなく、目覚めた・効果的な・たゆみなく働き続ける全能である」(カルヴァン)

 

カトウ:
そのとおりだと思うけれど…。

 

ナカガワ:
へぇー。
カトウさんは、常時、神様が働いている!って感じがしているわけ?

 

カトウ:
そういわれると…。ホントは実感、あまりありません。
「神様、今眠っている?居るの?」って思える時も…。

 

続きを読む

讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

10.全能の父(2)

「救いの信仰の中心そのものは、単なる神への信仰ではなくて、御父としての神への信仰である。また単に、キリストへの信仰ではなくて、神の御子としてのキリストへの信仰である。つまり、一被造物としてのキリストではなくて、神より生まれた創造主なる神としてのキリストへの信仰である。」(ヒラリウス)

 

カトウ:
「…ではなくて」が3連チャン♪

 

ナカガワ:
えっ、そこ?

それにしても「単なる神への信仰」とかって、人間の観念じゃない!って言う感じだよね。
そうなると、ヒラリウスさんの言いたいことって、「父だ!子だ!父子だ!」って言うこと?

 

カトウ:
「気合だー!」みたいな?
そう言えば、あれは確か小学生のとき、教会の友達が教会学校の先生に「神様とイエス様は、同じなの?別なんじゃないの?」って質問したら、先生は「イエス様は神様なの。そういうものなの」って言っていたなぁ…。

 

続きを読む

讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

9.全能の父(1)

「『実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。』こう語るとき、かれは理解しないこと、あるいは探求しないことを『含蓄的に』信じるのでは不十分なのであって、神のいつくしみについて、『はっきり表明できる』認識が必要だというのである。そのような認識にこそ、われわれの義が存するのである。」(カルヴァン『キリスト教綱要』)

 

カトウ:
…。

 

ナカガワ:
うーん、なんだろね。
つまり、信じているというだけではダメで、神の慈しみをちゃんと自分で言える理解が大事ということかな?
でも、それなら自分は…。だって洗礼を受けたのって小学生の時なんだよね。
神の慈しみをちゃんと言えた記憶がない…。いや、今だって。

 

カトウ:
そうそう。
僕も小さい頃から教会に行ってるから、お祈りしても「これって本当に自分の信仰なの?」って悩んだ時期もあったなあ。
単にそう思い込んでるだけじゃないの?って。

 

続きを読む