讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

21.万物は主にあって成れり

私達の生きている社会は、世界のまことの支配者が誰であるかという事がますますわからなくなっているように思います。多くの人々が生活にはある意味では不自由しない、豊かな時代に生きているように見え、そして一切の束縛から解放されて自由を楽しんでいるようにも見えますが、こころの内側にある悪意や罪、人間の歪んだ想いに支配をされている事も事実だと思います。「万物は主にあって成れり」というこのニカイア信条の告白は、神の主権が私達の世界にすでに打ち立てられていることの承認に他なりません。

 

カトウ:
「万物は主にあって成れり」って神様がこの世界をおつくりになったってことですよね?

 

ナカガワ:
そうだね。

 

カトウ:
つまり神様がつくったこの世界(神様がご支配している?)なのに、人間はそれが分からずに罪に囚われているダメっ子で、ニカイア信条でその事をちゃんと認めたら、良い子になるっていうこと?

 

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讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

20.造られずして生まれ、御父と同質にして

…ここで問題なのは、人間の救いというものが、イエス様の姿を真似る、あるいはそれを学ぶところで、留まってしまうことだと思います。ですからアレイオスの人たちは、その人間イエス、地上に生きたイエス様、しかも、十字架に至るまで、神様のご意思に従順に生きたイエス様のように自分もなる。そこに救済があると考えた。そこに、逆に、ニカイア信条を作っていった人々は、一番大きな問題を感じたんですね。そして、それは、聖書の証言から離れていくと考えたんです。

 

カトウ:
「十字架に至るまで、神様のご意思に従順に生きたイエス様のように自分もなる。そこに救済があると考えた」
それじゃ、駄目なの?
素晴らしい信仰のように思えるけれど…。

 

ナカガワ:
でも、ちょっと何か違和感あるかな、自分は。
教会でも「他者を愛して仕えよ」とみたいに言われるけれど、それってキリスト教だけのことじゃないよね。

 

カトウ:
確かにそうだけれど…。
でも、それじゃ、イエス様に従うって何?それって大切なことだよね?

 

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讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

19.光よりの光、まことの神よりのまことの神

頌栄的な言葉は、それらが指し示す高みを目指すだけではなくて、賛美する人間存在の深みを極める言葉でもあります。どういうことかといえば、信条の賛美、頌栄的な言葉は、上に向けて投げかけられると、ちょうど高い絶壁に当たって落ちてくる矢のように、私たちの存在の最も奥にある罪の暗闇に突き刺さるのであります。それは主ご自身が、本来、もっとも高きにいます方でありながら、しもべの形をとり、へりくだってもっとも低いところに来られた事実にも表れています。

 

カトウ:
えー!賛美の言葉は、ブーメランのように自分自身に突き刺さってくるの?
神様の素晴らしさで超感動!っていう感じなのに…。

 

ナカガワ:
関川先生は「主ご自身がしもべの形をとり、へりくだって…」って言っているよね。
これって…イエス様の十字架のことだよね。

 

カトウ:
イエス様の十字架…。

 

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