讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

37.聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(2)

ギリシャ語原文では、元来は「聖霊は御父より出で」という言葉になっていました。…ところが、やがて西方教会は「と御子」という言葉を挿入いたします。「と御子」という言葉は、ラテン語でフィリオクエといいましたので、この語句を巡っての東西教会の論争を「フィリオクエ論争」と呼ぶようになりました。このフィリオクエ論争は、単なる神学的論争にとどまらず、11世紀に、東西の教会が分裂する大きな要因になりました。

 

カトウ:
三位一体の神さまなので…。
でも、何で分裂するほどになっちゃったんだろう?やっぱり、「自分が正しい」のがぶつかっちゃうから?

 

ナカガワ:
そこは聞かないで!

でも、関川先生は、「教会として聖書に聞く」ことが大切だって言ってたよ。

 

カトウ:
ふーん。でも、こういうところがキリスト教って理屈っぽいって言われるところだよね。
西方教会だって、宗教改革を機に分裂を繰り返してバラバラだし。

 

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36.聖霊は御父〔と御子と〕より出で、御父と御子と共に礼拝され、あがめられ、預言者を通して語られる(1)

「聖霊には『聖』という言葉がついてますよね。神様の霊というのは、私たちの霊とは混同されてはならないわけです。そういう霊、そういう神の働き、ってことです。これとっても大事だと思うんですよね。なぜかというと、聖霊のことを語ると、いつも私たちの熱心さとか、私たちの熱意とか、信仰の情熱とか、それとわからなくなっちゃうわけですから。」

 

カトウ:
混同しちゃダメって言われても、どうすれば良いの?

 

ナカガワ:
カトリックの方だと「識別」っていうんだよね。
でも、神様の思いと自分の思いがごちゃまぜになってしまうって神様にだけじゃないかも。

 

カトウ:
どういうこと?

 

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35.われらは信ず。主にしていのちを与える聖霊を(3)

「我らのこの信仰、ならびに信仰の確信とは、肉と血、すなわち我らの内にある自然の力から生ずるものではなく、聖霊の感動から生ずるものである。その聖霊を、我らは父、及び御子と等しき神と告白する。聖霊は我らを清め、その業によって、我らを真理に導きたもう。」(16世紀に作られたスコットランドの信仰告白)

 

カトウ:
聖霊様が感動するの?
そこから僕らの信仰が生まれるの?

 

ナカガワ:
感動って、心動かされるって言うことだしね。
でも、何に感動しておられるんだろうね?

 

カトウ:
うーん…。
それはそうと、僕は、小学生の時、教会学校の夏のキャンプで、夜のキャンプファイヤーを囲みながらメッセージを聞いて感動して、洗礼を受けたいと思ったんだよね。

 

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