讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

44.われらは罪の赦しのための唯一の洗礼に同意を表す(1)

古代の教父の有名な言葉に「教会の外に救いはない」という言葉があります。いかにもキリスト教の排他性を表しているように聞こえますが、決してそうではありません。むしろ洗礼を受けた者によって形成される共同体に対する主の恵みの大きさがはっきりとまた大胆に語られているのです。父と子と聖霊の名によって洗礼を授けられたものは罪の赦しが与えられ、新しいいのちに生きる何にも代えがたい喜びを経験します。そして復活の主の現実の中に生きるものとされるのです。

 

カトウ:
「教会の外に救いはない」って教会の人の方が誤解して言っちゃっている気がする。

 

ナカガワ:
確かに。何かイエス様を信じたのを自分の徳っていうか良い行いっぽくね。
キリスト教ではただ神の憐れみだって言っているのに。

 

カトウ:
うん。人間ってどうしても、そうなっちゃうよね。悲しい…。
だから、人間関係に疲れたり、苦しんで、教会を去っていってしまう方もいっぱいいる。「教会の”内”に救いはない」になっちゃってる。

続きを読む

讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

43.われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(4)

教会は、唯一なるものであります。教会は、聖霊の働きによって生み出されました。言い換えれば、教会はその起源を神ご自身に持っているということです。アウグスティヌスという4世紀後半に生きた教父は、たしかに教会は、聖霊降臨によって生まれたけれど、聖霊が降る以前にも、目に見えない教会として存続していたと考えました。教会が唯一であるというのは、教会の本質が、唯一なる神に由来しているということを示しています。

 

カトウ:
教会は、神様のもの!
でも現実は、ドロドロした所がいっぱいあって、嫌になっちゃう人も沢山いるよね。

 

ナカガワ:
そうそう。個別の教会だけでなく、この「聖霊様の働きで生み出され、起源は神ご自身」ってことをもって、逆に「うちが本家とか、いやあっちこそ元祖」とかいろんな教派がバラバラになっちゃう現実があるしね。

 

カトウ:
教会っていう意識が薄いところだと、「私」の信仰、「あなた」の信仰って、てんでバラバラになってきちゃう「信仰の個人主義化」の話もよく聞くし。

これって理想と現実は違うっていうこと?

続きを読む

讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

42.われらは信ず。唯一の、聖なる、公同の使徒的教会を(3)

教会の源と基礎は、どこまでも主イエス・キリストにあります。教会の命は、キリストの死と復活、そして主が、天に上げられた事実に由来します。従って、教会という共同体は、徹底して復活し、高挙したイエス・キリストの支配するところと言ってよいでありましょう。私たちは、教会生活を送る中で案外、この基本となることを忘れてしまいます。教会は、いつの間にか楽しいサークル活動の場になったり、社会活動や奉仕活動にだけ専心する生きがい提供の場となってしまうことがあります。

 

カトウ:
イエス様のためと始めた活動が、いつのまにか別の目的になっちゃうっていうこと?

 

ナカガワ:
「教会あるある」だよね。教会の活動が盛んだと、忙しくなって気持ちもカリカリしたり。熱心な人ほど周りを裁きまくっちゃったり…。
教会の活動や人間関係に疲れちゃうっていうことも良く聞くよね。

 

カトウ:
ガーン。僕もそういう経験ある。
本人的にはイエス様のためだって疑っていなかったりして…。

続きを読む