讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

22.主はわれら人間のため、またわれらの救いのために天より下り(1)

”最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、…”(1コリ15:3〜4)

宗教改革者のルターは次のように述べております。
「パウロのこの言葉を深刻な真実のことと受け取るのは最高の知識であり、まことのキリスト教的な知恵である。すなわちキリストは、我々の義や清さのためでなく、まことの莫大な多くの、いや限りなく、打ち勝ち様のない我々の罪のために、死に引き渡されたということである。」

 

カトウ:
えっへん。「最高の知識」だって!照れるなあ〜。

 

ナカガワ:
照れて、どうする!!
ルターは「我々の義や清さのためでなく」って釘刺しているよ。

 

カトウ:
えっ?だって1コリのこの箇所、ちゃんと信じているよ、心から。

 

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讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

21.万物は主にあって成れり

私達の生きている社会は、世界のまことの支配者が誰であるかという事がますますわからなくなっているように思います。多くの人々が生活にはある意味では不自由しない、豊かな時代に生きているように見え、そして一切の束縛から解放されて自由を楽しんでいるようにも見えますが、こころの内側にある悪意や罪、人間の歪んだ想いに支配をされている事も事実だと思います。「万物は主にあって成れり」というこのニカイア信条の告白は、神の主権が私達の世界にすでに打ち立てられていることの承認に他なりません。

 

カトウ:
「万物は主にあって成れり」って神様がこの世界をおつくりになったってことですよね?

 

ナカガワ:
そうだね。

 

カトウ:
つまり神様がつくったこの世界(神様がご支配している?)なのに、人間はそれが分からずに罪に囚われているダメっ子で、ニカイア信条でその事をちゃんと認めたら、良い子になるっていうこと?

 

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讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

20.造られずして生まれ、御父と同質にして

…ここで問題なのは、人間の救いというものが、イエス様の姿を真似る、あるいはそれを学ぶところで、留まってしまうことだと思います。ですからアレイオスの人たちは、その人間イエス、地上に生きたイエス様、しかも、十字架に至るまで、神様のご意思に従順に生きたイエス様のように自分もなる。そこに救済があると考えた。そこに、逆に、ニカイア信条を作っていった人々は、一番大きな問題を感じたんですね。そして、それは、聖書の証言から離れていくと考えたんです。

 

カトウ:
「十字架に至るまで、神様のご意思に従順に生きたイエス様のように自分もなる。そこに救済があると考えた」
それじゃ、駄目なの?
素晴らしい信仰のように思えるけれど…。

 

ナカガワ:
でも、ちょっと何か違和感あるかな、自分は。
教会でも「他者を愛して仕えよ」とみたいに言われるけれど、それってキリスト教だけのことじゃないよね。

 

カトウ:
確かにそうだけれど…。
でも、それじゃ、イエス様に従うって何?それって大切なことだよね?

 

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