讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

49.みなさまからのご質問にお答えして(1)

リスナーの方からのご質問
「プロテスタントの信仰は『聖書に立つ信仰』だと聞きますが、なぜ『信条に立つ信仰』と先生はおっしゃるのですか?」
「私の教会は信条を礼拝で告白しません。なぜ教会のみなさんとそうする必要があるのですか?信条を告白しない教会は良くないのですか?」

 

関川:
「プロテスタント教会が『聖書のみ』だからといって、信条を捨てたというのは誤りです。聖書という規範に導き出された信仰の言葉を、プロテスタントは重んじてきたんです。」

 

吉崎:
「そうなんですね。では、『自分は、礼拝の中で信条を重んじない教会に行っている』と仰っている方には…」

 

関川:
「でも、そういう教会に行っているのが悪い訳では一切無いと思います。」

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讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

48.教会と信条

「各自の信仰の経験が先にあって、その後に信条が生じるのではない。信条のほうが、各自の信仰の経験よりも先である」(神学者・熊野義孝)

 

カトウ:
いよいよ今回で、信条本文の学びはおしまい…!
でも、信条で言われていることが、本当にそのとおりだ、アーメンって自分が信じないと、誰が信じたことになるの?教会っていう人はいないのに。

 

ナカガワ:
やっぱりそこに戻るよね。私と私達の問題。
でも一方で、そもそも僕らの信仰って、自分が先ってことは、ありえないしね。

 

カトウ:
…うん。イエス様と出会った、いろいろな方たちが伝え、守ってきたその信仰の先に自分がいるんだからね。
でも、最後の最後でダメ出しのように言われるとちょっとね〜。

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讃美に生きる―ニカイア信条に学ぶ(再)

47.われらは死人のよみがえりと来るべき世の生命とを待ち望む。アーメン(2)

使徒信条は「とこしえのいのちを信ず」と告白しています。それに対してニカイア信条は「来るべき世の生命」と言う事によって「この世」と「来るべき世」の質的な相違を強調していると見ることが出来ます。
…(中略)…
必ずいつか良いことがある、そういう心理作用の中で、何か少し希望を持つと言うことも、あるかもしれないですよね。この世はやっぱり良いことあるよ、帳消しになるよ。それを悪いっていうわけじゃないですよね、そういう風に考えるのは。
でも、キリスト教は、そうは考えないんですよね。究極的な現実は、私たちの歴史の現実ではないってことで、それを超えたところがあるってことなんです。

 

カトウ:
「来るべき世」ってあんまり真剣に考えたことないなあ。質的相違って言われても。

 

ナカガワ:
現実感ないものね。
でも、だからじゃない?違うって強調する必要があるのも。

 

カトウ:
どういうこと?

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